消えがてのうた

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zoom RSS 『供述によるとペレイラは・・・』 ペレイラの冒険 / 「あるたましいの復活」

<<   作成日時 : 2006/09/29 23:58   >>

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アントニオ・タブッキ。
このイタリアの作家を私は知らなかった。
94年秋、イタリアのもっとも重要な文学賞のひとつといわれるヴィアレッジョ賞を受賞したこの小説の翻訳者が、私がもっとも敬愛する作家のひとりである須賀敦子でなかったとしたら、おそらく手に取ることもなく、意識の外側を通り過ぎていった名前かもしれない。

舞台はリスボン。
隣国スペインにフランコが台頭し、アルプスの向こうのドイツではナチス・ドイツがオーストリアを合併し世界史にその狂気の一歩を記した時代。
 我等が主人公のペレイラは、ぱっとしない日刊紙「リシュボア」の文芸担当記者である。
汗っかきで、肥満体、心臓の持病を持ち、カトリックではあるが毎週ミサに出かける熱心さはもうない。
毎日行きつけのレストランで「香草入りオムレツを食べ、心臓に悪いからと、好きな酒を断って一日になんばいもレモネードを飲む中年の男だ。
 妻を亡くし、代わり映えしない日々に不足を感じ、行く先を間違えつつある祖国を心の片隅で憂いながらも、毎日の安逸を大事にして生きてきた平凡で目立たない男。
しかし「反フランコ」運動に携わるひとりの自由主義者の青年と知り合ったことで運命は突然の急展開を彼にもたらす。

画像

                   「受難 」ジョルジュ・ルオー1939年

知り合った時点で早くも、この青年の政治への「若すぎる」情熱、人生に向けるあまりにまっすぐな視線を否定できないペレイラは、自分の意思に反していると思いながらも彼を追っ手の手からかくまうはめに陥る。
全ては、「自分の意思とは無関係」であると思い込むことによってその「災難」から逃れようとするペレイラは、自分でもそれと知らぬ間に反政府運動の深みにはまって行く。
そしていつからか、彼は自分の中の「声なき声」に耳を傾け始める。
「これは、おかしい、これはフェアではない。許されざることだ。」
「これ」とは、言論の自由を奪い人間としての尊厳をも奪い取っている独裁体制にある国家。
何年もの長きに渡って封印されてきた思いは、溢れたその時から、静かに、しかし確実に、彼の「現在」を変えてゆく・・・・・

どんなに強い意志をもってしても所詮人間に出来ることなど知れたものである。
しかし、もし神が望むなら、と須賀敦子は言う。
「しかし、もし神が望むなら人間は時におもいがけなく崇高な行為をやってのける。
後半ペレイラの言動に現れる「孤独=個としての独立への誘い」を表す「私の同志は私だけです」という言葉は限りなく重く落ちてくる。」
『友人がいってしまったとき、ペレイラは、じぶんがしんそこ孤独に思えた。
それから、本当に孤独なときにこそ、「大切な問題」とあい対するときが来ているのだと気づいた。そう考えてはみたのだが、すっかり安心したわけではなかった。それはこれまで生きてきた人生への郷愁であり、たぶん、これからの人生への深い思いなのだった。』


彼は物語の最後に、自分の部屋に匿った青年が秘密警察によって惨殺された事実を署名入りの記事で発表する。
全ては「見てみぬふり」が「是」とされ、告発はタブーであり「死」をも意味したこの時代のこの国で、体重管理のために温泉に通い、海草療法に拠る体重の軽減に一喜一憂していた男、亡き妻の写真に毎日語りかけることを唯一の慰めとしていた男、ペレイラは、その人生の半ばで出あった真実に人生を賭ける。

ペレイラの「供述」は淡々として、まるでその「供述」が、何かの恩寵、あたかもひとつのカタルシスであるかのような、不思議な明るさに満ちている。
風もたたない真夏のリスボン。
倦怠感と諦めが支配するかのような圧政下の街で、ペレイラは静かな伏流水のようなその意思に、ノミをふるってゆく。
最後に彼の「意思」は確信に満ちた「意志」となる。
もはや彼に迷いはない。
彼は自分の人生の全てを肯定した静かな精神の明るさの中に立っている。

物語は、本の題名にもあるように終始一貫、「ペレイラの供述に基づいて語られた物語」、という形をとっている。
彼はその後捕らわれ、もしかして殺されたのだろうか、その事に関しての一切の言及はない。
けれども、こうは思えないだろうか。
『その後のペレイラ』は私たちのなかにこそ息づいている、と。

供述によるとペレイラは…
供述によるとペレイラは… (白水Uブックス―海外小説の誘惑)

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コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
アントニオ・ダブッキという作家、初めてです。
訳者の須賀敦子さんは2冊ほど読みました。
数年前まだ、それほど年でもないのに亡くなられましたね。
イタリアの雰囲気が様々な人を介して伝わってくるエッセイでした。
ルオーの「受難」も心に沁みるいい絵ですね。
tona
URL
2006/09/30 19:52
◇tonaさま
 コメントありがとうございます。

須賀敦子さんの文章がだいすきです。
無駄なものが一切ない、水晶のように硬質で明晰な文章でありながら優しく懐かしく心を開いてくれるものがあります。
熱心なカトリシアンであった須賀さんの文章には「生きること」への真剣な問いかけがあります。
「生きること」に対する深く豊かな愛情を感じます。

ルオーの「受難」、連作「ミゼレーレ」の中の一作ですね。
黙したまま俯くキリストの横顔。美しく哀しく、崇高な横顔です。
aosta
2006/10/01 00:50
ぜひ読んでみたくなりました。
読み終わったら 感想を書かせてくださいね。
Suzuka
2006/10/01 05:53
◇Suzukaさま
 おはようございます。

ぜひ、お読みください。
不思議な小説です。
物語の90%は、ペレイラの波風の立たない平凡で代わり映えしない生活の記述ばかり。
海草療養所の医師。
この人がとても、魅力的な人物です。
ペレイラの運命を左右するキーとなった人物。
最後の日、レストランでのペレイラとウェイターとの会話が心に残ります。
どきどきしようもない淡々とした物語のこの最後には、私の胸には静かで熱い波のようなものがひたひたと寄せていました。

本当に大切なこと、偉大なことはごくささやかな真実を、真実であると認めることから出発するのだと、
「真実」は私たちの日常の中にこそ潜んであるのだということ。
静かに、けれども頭(こうべ)を挙げて生きること・・・・
このペレイラの物語は、流れの中で、光りを反射しキラキラと光っている小さな黄金色をしたたましいの物語のように思われます。
aosta
2006/10/01 06:52
> 告発はタブーであり「死」

私は、タブーに立ち向かう勇気がないのかも知れません。
常に"いい子"として"優等生"として
たち振舞ってきたように思います。

コンビニの前で座り込んで、
煙草を吸っている高校生?中学生?らしき子供を
咎めることができません。

電車の中で痴漢を見ても、
見てみぬ振りをするかもしれません。

でも、誰かが道端に倒れていたら、
助けたいと思います。

ペレイラの言うタブーとは次元が違うかも知れませんが、
小さな人間です。

本文とは関係ありませんが、
ポルトガルはリスボンにある世界遺産:ジェロニモス修道院、
いつか訪れたいと思っております。
Stanesby
2006/10/02 21:42
◇Stanesbyさま
 コメントありがとうございます。

>でも、誰かが道端に倒れていたら、
    助けたいと思います・・・・・

新約聖書にある「良きサマリア人のたとえ」を思い出しました。

>小さな人間で・・・。

どんな小さなことでも、行動を起こすには大きな勇気がいるのだと思います。小さな人間が小さなことに気が付く。
小さな気づきは、大きな気づきへと代わっていくかもしれません。
気づきが、行動を起こすとき、大きな大きな勇気とエネルギーが必要となるのでしょうね。

「アルプスの南はヨーロッパではない。」という言葉があります。
ながいこと、イスラムの支配下にありアラヴィックな文化の影響を受けてきたスペイン、ポルトガルの歴史。
キリスト教文化も、アルプス以北とは、そのありようが大きく違うような気がいたします。
ジェロニモス修道院、興味があります。

aosta
2006/10/03 06:41

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