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zoom RSS エヴァ / ゲントの祭壇画 :ファン・エイク兄弟

<<   作成日時 : 2006/11/19 21:50   >>

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 前回アップしたアダム。
彼について書いたのだからエヴァのことも書かないわけにはいかないかもしれない、この人類最初の夫婦の物語を、片一方だけ書いて終わりにしては片手落ちというものかもしれない。
 ということで、今日はエヴァについて。

画像

                    「ゲントの祭壇画」より「エヴァ」

創世記2章15節〜8節 
 『主なる神は人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた。
主なる神は人に命じて言われた。
「園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。
 主なる神は言われた。
「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を作ろう。」』

 こうして「人類最初の女」であるエヴァは、アダムの助骨の一本から創造されることとなる。
アダムとは、「土」・「人間」の二つの意味を持つヘブライ語に由来する名前であり、エヴァは「生きる者」または「生命」を意味する名前を与えられる。
二人は、その最初から完全に調和すべく形作られた存在であった。
神から禁じられた「禁断の木の実」を食べるまでは。
  
創世記3章6節 
 『女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。
女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。』

エヴァは蛇の誘惑に負け、アダムはエヴァの誘いに乗った。
神と人間との完全な親和関係は喪われ、二人は罪を背負って楽園から追われることとなる。

 ゲントの祭壇画に見るエヴァの姿は、何か虚脱したもののように立っている。
手にしているのは「善悪の知識の木の実」。
通説では林檎の木とされることの多いこの果実が、ここでは見たことのない不可思議な物として描かれている。
その表情は虚ろだが、顔の造作そのものは、まだ少女のようなあどけなさをも感じさせる。
この人類最初の女にして、悲劇の母となったエヴァ。
彼女の名前が意味する「生きる者」とは、罪の代価の大きさにうめき、苦しみながら生きることであったのだろうか?

神は、アダムが「あらゆる家畜、空の鳥、野のあらゆる獣」の中から「助け手」となる相手を探しだすことを期待した。
しかしアダムは、その中から自分にふさわしい助け手はみつけることができなかった。
 彼が求めたのはみずからの「分身」としての「女」であり、「助け手」であった。

ここで神とアダムとの間にかすかな齟齬、つまり隔たりとか行き違いを感じてしまうのはうがち過ぎだろうか。
エヴァという一人の女を介して、神とアダムとの間にはすでに見えざる「乖離」があったのではないか。
 
 神とアダムとの関係は「創造主と被造物」の関係であり、アダムとエヴァとの関係は、
創世記2章23.24節にもあるように
『ついに、これこそ
わたしの骨の骨。わたしの肉の肉。
これをこそ「女」(イシャー)と呼ぼう。
まさに、男(イシュ)から取られたものだから。
こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。』
 この二人の人間にある求心力の強さから、神はむしろ疎外されているのではないか?

 神が人を創造した旧約聖書の、そのまた始まりの物語においてすでに神と人との関係が喪われている。
喪われた関係をもう一度取り戻そうとする壮大な物語。
それは新約聖書の時代まで、キリストの誕生を待たなければならない。

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アダム / ゲントの祭壇画 :ファン・エイク兄弟
 ゲントは、ブルッセル、アントワープに次ぐ、ベルギー第三の都市。 「花の街」とも呼ばれる古い都です。 ...続きを見る
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2006/11/19 21:57

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コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
画家は、この絵をというよりも、このふたりを見せしめとして描いたのでしょうか。

わたしには、どうもそう思われないような気がするのです。

実際にみていなくて心もとないのですが、DLして拡大してみました。

たしかに苦悩に打ちひしがれて見えるアダム。
しかし、その表情に刻まれた深さ。
負け犬の顔ではありません。

そしられる女、エヴァ。
でも、その昂然とした態度はむしろすがすがしい。

叡智とは、つみ?
そう、かもしれない。
それは、ひとと動物をへだてる一歩。
でも、それはまた己の無知を知る場所への一歩。

考えることを許されぬ楽園から
じぶんたちの力で生き抜いてきた
人間の祖先を描く
その筆致に尊敬の想いがこめられているように思えるのです。
Suzuka
2006/11/20 00:45
◇Suzuka さま
  はなから重量級のコメントです(笑)。

>画家は、この絵をというよりも、このふたりを見せしめとして描いたのでしょうか。
 
見せしめ。
「原罪」の象徴として描かれた絵であれば、確かにもっと違った表現になったであろうと、私も思います。
 例えば、マサッチオ描くところの「楽園追放」。
アダムとエヴァは弾劾され絶望に打ちひしがれて楽園を出て行きます。
ここには、このゲントの祭壇画に見る静謐な空間はありません。
もちろん、楽園を負われるという大きなドラマのなかで、荒れ狂う哀しみと絶望、若しくは怒り、若しくは嘆願、さまざまな激情が渦巻いていたことは押して知るべし。
 しかし、Suzukaさんの仰るとおり、ファン・エイクによって描かれたアダムとエヴァには「罪人」という烙印を押された者の卑屈さはありませんね。

「善悪の知識の木」。
「善」は絶対的なものでしょうか?
「悪」という対極が存在して初めて善をして善たらしめることが出来るのではないかと思います。
反対に言えば「悪」の存在しないところに「善」はない、ということになるのかもしれません。
aosta
2006/11/20 11:15
Suzukaさんのコメントを拝見していろいろなことを考えました。
人間は罪を知ることで人間になったのかもしれません。
エデンという全き保護にあった世界から、外界にと踏み出したその一歩は「罪とともに生きる道」。
そして、その罪から開放されるための道であったのかもしれない・・・

彼らファン・エイク兄弟が描きたかったものは、「にもかかわらず」の「人間の尊厳」だったのかもしれませんね。

どうしてもキリスト教的視点から見てしまう私の傾向に、新しい視点を与えてくださったこと、感謝します。
 
aosta
2006/11/20 11:21

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