消えがてのうた

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help RSS 読書の覚書。そして、「そうだったの?」

<<   作成日時 : 2007/02/18 20:25   >>

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今読んでいる本。
鍵盤奏者、武久源造さんの『新しい人は新しい音楽をする』アルク出版企画。
気になった言葉に線を引きながら読んでいる。
読書の際、2Bの鉛筆と定規は私にとって必需品だ。

『文字が発明される以前、人から人への主な情報伝達手段は、遺伝子による親から子への進化の継承を別にすれば、声や音楽による音の記憶であり、石器や土器による形の継承であった。
古えの時代、人間は今より遥かに触覚に依存していたのではなかろうか。私がこのことをまざまざと感じたのは縄文土器に触れたときだった。
>中略
その土器たちの記憶は今も手に鮮やかだ。それらの形からは古えの作者たちの手の動き、リズムのようなものが感じられた。当時轆轤を使わず手だけで作られた円筒、ないし逆円錐形の器の中には全体にいびつな、あるいは撓んでいるものもあるが、それは両手で包むように持ったとき、不思議に手に馴染む。「その縄文土器の模様には物語があるのだ。我々がそれを解読できさえすれば、それらの器はさまざまな歌を歌いだす。」
手から手へと受け渡される歌。それは、たとえばバッハの自筆譜に踊る音符たちの形象の内にも眠っている。そこには、バッハの楽想、心理の軌跡、何よりも彼の音楽への、そして子どもたちへの愛情がこめられている。その愛情は、「音楽が我々の心を癒してくれる」というような<表面的な作用>に関わるものではない。実際に触れ得るほど確かなもの、そしてそれが生き続けているがゆえに、我々の根源を揺さぶらずにはおかないもの、それが音楽なのではなかろうか。であればこそ、バッハの音楽は世界の遺産であり、我々もまたバッハの子どもであるとリアルにそう思うことができるのである。目には見えずとも、確かに存在する関係・・・・
この「目には見えない関係」において、縄文人の、またバッハの子どもであるといえる我々は、今音が世界を駆けめぐり、あらゆる時代、あらゆる民族の音楽観がシャッフルされるような時代を生きている。その<世界音楽>というパラダイムにおいて、過去の巨匠たちと我々は、時空を超えたコミュニケーションで結ばれている。しかし、その営みはこれからも人間の歴史とともに続いてゆくのだろうか。』

それからこんな一文も。
『日本人でもヨーロッパ音楽が大変分かる人もいれば、全然分からないという人もいる。これはなぜか。分かる人は、すごい分かり方をする。日本人なのにヨーロッパへ行って、かなりの影響力を持つところまで行くような人が出たりする。このちっぽけな日本の割にはけっこうたくさんそういう人が出ている。でも、だからといって、日本でヨーロッパ音楽が主流になったというわけでもなくて、西洋音楽を分からんという人は依然として多い。これは日本の中に、ヨーロッパ音楽に対して免疫の在る人とない人の二種類があるとしか思えない。』

これには驚いた。
そうだったの?
音楽にも免疫があるの?
常々、気になっていたことがある。
自分でブログなるものを始めて、音楽についての気ままな思いを書き綴っているとき、同様なブログのほとんどが男性の手によるものばかりだということである。
もちろん、インターネットに通じている人口は男性のほうが多いのかもしれない。
しかし実生活においてもクラシックが趣味という女性には、滅多にお目にかかることができい。
それともたまたま私が知らないだけなのだろうか。
共通の趣味について語るとき男性も女性もないのだが、それにしてもと考えてしまうのである。
(もちろん、武久さんの個人的な仮説ではあるが)ヨーロッパ音楽に対する免疫のあるなしは、性別によってもかわるものなのだろうか。
そういう意味でも、私のこのブログにコメントを下さるかたには心から感謝である。

何の気なしにつけたタイトル。
アップしようとしたその日に、良くお邪魔するブログで同名のタイトルの記事がアップされていた。もちろん内容はまったく関係ないのだが、この偶然には驚いた。
今日は忙しい一日でとても疲れ新しいブログを建てる気力も無いまま、タイトルを少し変えてアップすることに・・・

☆武久さんのブログはこちら→http://s-goldberg.at.webry.info/

新しい人は新しい音楽をする
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コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
免疫、なかなかに大雑把な切り口ですね。

主題からそれてしまうかもしれませんが、
つねづね、子どものための、とか青少年のとか銘打たれた場面での音楽のチョイスには疑問を感じていました。
なぜ、たいしておもしろくもない選曲をして、「わかりやすく」教えようとするのか。つまんないものだ、と刷り込まれちゃってもしかたがないじゃないですか。

百歩譲って、セレクトはOKだったとする。
その演奏は、どうでしょうか。
洗練が優先して、魂を突き動かす演奏をうむ土壌がない。

クラシックになじめる環境とは、ある程度のクラスを要求しているのです。
だからこそ、子どもたちに音楽を紹介できる立場の教師は、マニアであってはつとまらないはず。

ごめんなさい、男性が多いというお話でしたよね。
男って、蘊蓄好きじゃないですか。
そのせいだと、思いますよ。
Suzuka
2007/02/19 09:41
こんばんわ。初めてお邪魔致しますm(_ _)m。
こういう本をお読みなのですね!私はまだ読んだことのないジャンルなので、興味深く読ませてもらいました。
ちょっと読んでみたくなりました(*^_^*)。
マキサ
2007/02/19 23:40
> 日本の中に、ヨーロッパ音楽に対して免疫の在る人とない人の
> 二種類があるとしか思えない。

思ったのだから、それはそれでいいとして、僕は違うと思う。
誰も最初は免疫なんてない。ただその音/メロディ/ハーモニー/進行を心地よいと感じるか感じないか。それだけ。ヨーロッパ音楽と一括りにするのもどうかな。

こちらのブログはお客様を含めて女性の方が薀蓄・・・
やめておきましょう。
Stanesby
2007/02/19 23:52
◇Suzukaさま
おはようございます。

>なぜ、たいしておもしろくもない選曲をして、「わかりやすく」教えようとするのか。つまんないものだ、と刷り込まれちゃってもしかたがないじゃないですか。

これにはまったく同感です。
まず教える人が楽しまなくては、その楽しさを伝えるはできませんよね。演奏に関しては良いに越したことはありませんが、真っ白な心ならば「音楽」そのものだけの素晴らしさで十分心がつきうごかされるのでは?とも思います。これは私の経験でしかないのかもしれませんが、本当に魂に届く音楽とは演奏をも超えて存在するものだと思います。
誰が演奏しているのか、演奏はだれがいいのか、といった問題は「音楽の本質」の後から付いて来たような気がします。

私は、個人的には、私は音楽の教師に恵まれたと思っています。 (小学校の先生だけでしたが)音楽は嬉しい、音楽は楽しい、音楽は美しいということを身体でおしえてくださいました。
aosta
2007/02/20 06:33
◇マキサさま

コメントありがとうございます。
字ばっかりのブログでごめんなさい。
たまたま読んでいた本の中で、気になった部分をメモ代わりに引用した、という実はかなり安易な本文でした。

かなりボリュームの在る本ですが、河合隼雄さんとの対談は面白く読みました。
aosta
2007/02/20 06:38
◇Stanesbyさま

部分的な引用だけで終わってしまったので、武久さんの真意は上手く伝わらなかったかもしれませんね。
あくまで仮説、というより話の中で出てきた思い付きかもしれませんがそういう発想自体が「面白い」とおもいました。

はい。
仰るとおりの「薀蓄」好きなaostaでございます。
自覚はしているんですけど(笑い)・・・
お付き合いありがとうございます。ご迷惑おかけします。
aosta
2007/02/20 06:45

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