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zoom RSS 『リーメンシュナイダーの世界』 植田重雄 @ / 発見

<<   作成日時 : 2007/10/11 23:16   >>

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昨日今日と二日をかけて一冊の本を読んだ。
正確に言えば、もう随分前から部分的にではあるが繰り返し読み返してきた本でもある。

植田重雄著『リーメンシュナイダーの世界』
昭和51年に上梓されたこの本は、その後まもなく絶版となり、20有余年を経て再版された。
この本を読み終えた時、私は果てしない旅から帰ってきたような疲労感とともに
静かな感動をしみじみと感じていた。

初版時に、著者の知己であった坂崎乙郎氏が本書に寄せた言葉がある。

「彫刻家は農民戦争の渦中で何を刻んだのか?永遠の夜をよぎる一閃の光芒を、彼はとらえた。
またそうしていっそう深い闇がおとずれる。本書では、かき消され、かき消され、ふたたび浮かび上がるひとりの彫刻家の、生ける人間の、嘆きが徹底して語られている。」


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彫刻家とはティルマン・リーメンシュナイダー。
1460年に北ドイツのオスターオーデ(一説によればハイリゲンシュタット)に生まれた彼は、幼い頃から彫刻の才に恵まれ、長じてマイスターとして1483年頃から創作を開始したと言われている。
1531年7月7日没。
彼が生きた時代、ドイツはヨーロッパ全土を震撼させた農民戦争のさなかにあった。
農民戦争後には、宗教戦争と呼ばれる30年に及ぶ内乱が続き、ドイツの人口は半分になり、国民や文化の疲弊は極度に達した。
リーメンシュナイダーが愛し、その人生の大半をすごした町、ヴュルツブルクの人々でさえ、彼の存在を忘れ去り、彼をあらためて思い出すのはじつに300年後のことになる。

リーメンシュナイダーがなぜにして忘れ去られ、そしていかにして発見されたか。
この本は、リーメンシュナイダーと、彼が生きた時代へのまさしく巡礼の旅でもある。


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1832年のある日、クレークリンゲンのヘルゴット教会で、農民戦争以来、礼拝堂の片隅に忘れ去られ、変色した白布にくるまれたまま埃にまみれていた祭壇が発見された。
300年もの長い間、すべての歴史から忘れ去られていた彫刻祭壇が、
長すぎた眠りから目覚めた時であった。
現在、「昇天のマリア祭壇」として知られているリーメンシュナイダーの傑作である。

マリアは祝福の天使たちに囲まれ、しんしんとした静けさと憂いの中に立っている。
足元にはキリストの十二使徒。
緩やかなS字を描いて立つマリアに沿って、美しい曲線で流れる着衣の襞の陰影は、教会に差し込むひかりの動きにつれて、あたかも軽やかな音楽であるかのごとく表情を変えるに違いない。
胸の前でひそやかにつつましく合わせられた手の、何と高貴なことだろう。
世界の果てをみつめているかのごとく、穏やかで静寂に満ちた眼差しをしたマリアは、同時に、死にゆくキリストを見守りつつ、十字架の下で苦しみのうちに放心しているかのごとくであったマリアであり、為すすべもなく、くず折れんばかりの身体を必死で支えていたマリアであった。
キリストと苦しみを共にすること、祈ること以外、彼女に許されていることはなかった。
その胎に「神の子キリスト」を宿したそのときから、約束されていた苦しみ。
すべての苦しみ、哀しみを、一身に引き受けたマリアは今、
荘厳な静けさのうちに天に上げられようとしている。
極力ドラマ性を排除したこのマリア像は、それゆえにこそ、見る人を深い祈りと内省へと導いてゆく。



         マリアはもはや何ひとつもっていない
         幼子イエスも抱いていない
         驢馬や牛
         羊飼い、東方の賢者もなく
         この地上のものは何ひとつない
         マリアの御手には何もなく
         ただ手を合わせているだけである
         神の息吹の憧れが
         マリアを捉えるのか
         マリアはもはや何もなすべきことはない
         天使たちがマリアを天上へ伴っていったのか
         マリアが天使たちを引き上げていったのか
         だれも知らない
         けれども、神よ
         今すべてに何という優しさと恵みが
         満ちていることであろう!

                         グリフォード 「昇天のマリア」
  

殺戮と破壊の嵐が荒れ狂った農民戦争のさなか、最晩年のリーメンシュナイダーは、身に覚えのない嫌疑のため投獄され、二度と彫刻ができないようにと、右手の指や腕の関節を折られたとも伝えられている。
芸術家が、その手指を折られることの意味・・・
それだけで想像を絶するものがある。
しかしながら彼の創作活動がそれ以降全く絶えてしまったのは、こうした身体的苦痛というよりむしろ、最愛のヴュルツブルクに裏切られたという精神的打撃の方が大きかったのではないかと、私は思う。

「造形において、リーメンシュナイダーの存在は、けっして特異な一特色ではなく、ドイツ美術の曙光を告げるものであった。しかし荘厳な夜明けはあったが、そのあとに朝や昼は訪れなかった。」
とは、著者植田氏の言葉である。



◆「昇天のマリア」、正しくは神によって”天にあげられた”という意味で「被昇天のマリア」という概念は、カトリック及びルターによる宗教改革前のキリスト教会の概念であり、プロテスタント諸派に「マリアの昇天」という考え方はない。






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リーメンシュナイダーとヴュルツブルク。 両者は一対どんな関係にあったのだろうか。 ...続きを見る
消えがてのうた
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『リーメンシュナイダーの世界』 植田重雄 B / ユダの変貌
「イスカリオテがイエスに似ているのがお分かりでしょう。」 ...続きを見る
消えがてのうた
2007/10/19 21:15

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コメント(10件)

内 容 ニックネーム/日時
素晴しい彫刻ですね。まるでマリアがそこにいるかのようです。
それにしても大きな手です。見ている角度にもよるかもしれませんが、ことによると顔よりも大きな手。大きいというか長い手と言ったほうが正しいでしょうか。まさに祈りを捧げる手なのですね。見つかってよかったですね。

私も指や腕の関節を折られたら悲しいです。
 
Stanesby
2007/10/12 00:26
リーメンシュナイダーの彫刻、一度見ると忘れられない憂愁を含んだ美しさがありますね。その悲しみの奥に、その中でじっと耐える力強さも備えている。大好きな芸術家です。
beingreen
2007/10/12 05:51
激しく苦しい時代にすばらしい作品を残して、苦難のうちに世を去った彫刻家、この静かなマリア像にどんな深い思いがこめられたのか・・・いろいろな思いがよぎります。
森の生活
2007/10/12 08:23
初めて名前を聞いた彫刻家です。
マリアの巻き毛と、マントのしわの表現力、そして手の表情が素晴らしいですね。長い時間を経ても壊れることなく、見つけられて良かった・・・
うさみ
URL
2007/10/12 20:16
今まで見たことないようなマリア像、素晴らしい彫刻ですね。
発見されてよかったです。
ヴュルツブルクのリーメンシュナイダー、初めて知りました。
絶版された本が再販されて、それを読まれてご紹介くださったこと、ラッキーでした。ありがとうございます。
tona
URL
2007/10/12 21:41
◇Stanesbyさん
 おはようございます。

>まさに祈りを捧げる手なのですね。

私がリーメンシュナイダーの作品に魅かれた一番のきっかけが、その手の美しさでした。ただ造形的に美しいというだけでない、瞑想するかのような手でした。Stanesbyさんが仰られたように「祈りをささげる手」です。
私はいつも不思議に思うのですが、どんな宗教であっても人は祈るとき両の手を合わせます。手を合わせるとき、そこにはどんな力が働くのでしょう。
祈りの形をとって合わされた手。祈りはその一点へと集中し、深化していくのでしょうか・・・
aosta
2007/10/14 05:57
◇beingreenさん
 お返事遅くなりました。

>一度見ると忘れられない憂愁

私も同感いたします。
ただ美しいだけの憂愁ではない、何かにじっと耐えている強さ、むしろ積極的な忍耐とも言うべきものがその作品に刻まれているのではないかしら。
リーメンシュナイダーという人は、一般的なイメージにあるような自由奔放な芸術家ではなく、つつましく堅実な市民でした。そして何よりも、「深く祈るひと」であったのではないでしょうか。
深い祈りと内省が、彼の作品に、気高さと孤高の表情を与えているのではないかと思います。

aosta
2007/10/14 06:10
◇森の生活さん

おはようございます。
シュッツに続いてまたもや「農民戦争」です・・・
全ドイツの人口の半分を失ったというこの戦争が、ドイツに残した傷の深さを思います。この本を読んで気がつかされたことのひとつに、農民戦争は宗教戦争の様相をした実質社会改革のための階級闘争だったということでした。貧しい農民、下級貴族・騎士たちは「ただ聖書のみ!」と叫んだルターの言葉をよりどころに、言うならば原始キリスト教的秩序の回復、キリスト教的共和主義の実現を願って、教会に象徴される権威に半期を翻したのです。
宗教改革を叫んだルターさえも、ことの成り行きに驚いて農民を糾弾し、体制側につきました。彼はカトリック教会を批判したのであって、社会を変えようとしていたのではなかったからです。
このあたり、長くなりますが、そして、しんどい感じもしますが(笑)、もう1・2回ブログを立てようかと思っています。もう少しお付き合いください。
aosta
2007/10/14 06:24
◇うさみさん
 コメントありがとうございます。

>マリアの巻き毛と、マントのしわの表現力

そうです、その通りです!
リーメンシュナイダーの刻む曲線は私もとびっきりの美しさだと思います。
緩やかに流れ落ちる髪、深く複雑な衣服の襞が織り成す、一種のリズムのようなものを感じます。アップした写真は部分なので残念ですが、マリアの立ち姿、頭上の天使たちの羽ばたき、足元で膝まづく使徒たちの動きがすべて美しい音楽的な諧調rとなって感じられます。
本当にこの目で見たくなりますよね!
aosta
2007/10/14 06:34
◇tonaさん
 おはようございます♪

世界のあちらこちらを旅しては、素晴らしい芸術に触れ感動を経験していらっしゃるtonaさんが羨ましいです。
もしかして、スペインの次はリーメンシュナイダーを見にドイツまで!なんてことありませんよね(笑)。
彫刻には、平面の芸術である絵画とはまた違う大きな魅力がありますね。
それは時間と共に移ろう光。
光の射し方によって、彫刻は全く違う表情を見せてくれます。
まさしく光と影によって織り成されるドラマがあります。また、見ている私たち自身が移動することによっても、見えてくるものは違ってきますね。
こうした芸術作品に何を見るかは、自分の中に何があるか、にも、深く関わる事にもなるのかもしれません。
aosta
2007/10/14 06:43

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