消えがてのうた

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zoom RSS 偶然が行きつくところ (その1)

<<   作成日時 : 2007/12/11 11:55   >>

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私が一回見ただけでそのマンションに決めたのは、第一に病院に歩いていかれる近さゆえだった。
そして、もうひとつ。
マンションのとなりに小さな教会があったこと。

2歳で小児がんを発病した長男が長期の入院生活を余儀なくされて3年が過ぎていた。
彼は5歳になっていた。
もう再発の可能性はないだろうと言われた矢先の再発。
再びの入院と付き添いの生活が始まった。
小児がんの子供ばかりの小児病棟の6人部屋。
付き添いの母親はみな、子供のベッドの隣で寝起きしていた。
一部屋に子供が6人、母親が6人。プライバシーなどあろうはずがない生活。
どの親も、子供を守ろうと必死だった。
再発後の長男の治療結果は思わしくなく、骨髄移植に最後の望みを託すこととなって、順番待ちの12月のさなかだった。
病棟でも、子供たちのためのささやかなクリスマス会が企画され、その準備の最中に倒れた。

はい。
倒れたのは私です。
くも膜下出血だった。
向かい合った脳外科からすぐにドクターが駆けつけて下さり、おそらく世界中の誰よりすばやい手当てを施された幸せな患者の一人だったのではないかと思う。
意識が戻ったのは何日かしてからの集中治療室の中だった。


画像

ジョルジュ・ド・ラ・トゥール(1593-1652)「新生児(キリストの降誕)」レンヌ美術館




クリスマスは知らぬうちに過ぎていた。
子供の移植は私が回復するまで延期になった。

「病院」という非日常の世界から離れる時間。
そして、まだ3歳になったばかりの下の娘と一緒にいる時間が必要だった。
付き添いに復帰できるまでの何ヶ月間か、突然の「休暇」が私に与えられた。

長男が発病したのは旭川だった。
1年の入院生活を経て実家のある長野に戻り、松本の大学病院に転院。
娘は松本から車で一時間ばかりの実家の母が面倒を見てくれていたが、実家と病院との往復は、私にとって心身ともに大きな負担であった。
何よりも家族が家族として一緒に暮らしたかった。
自分が入院中のベッドの上で、私は真剣に松本への引越しを考え始めた。
転居の決断は早かった。

不動産屋に出した条件はただひとつ。
病院に近いこと。
複数あった物件の中でさきのマンションは即決だった。
病院には十分に近い。
そしてお隣は教会だった。

隣が教会だからと言って何かを具体的に期待したわけではない。
見ず知らずのそれもプロテスタントの教会だった。





私が小さいころから親しんできたのはカトリック教会であり、プロテスタントの礼拝は大学に入ってからが初めての経験だった。
大学はプロテスタントのミッション・スクールだっだ。
キャンパス内にあったチャペルでは、毎日礼拝があった。
私が、「その人」の姿に気がついたのはいつ頃だったのだろう。
誰もいない静まり返ったチャペルの中、いつも決まった席で、静かに頭(こうべ)を垂れて祈る人がいた。
もう定年間近のS先生だった。
私は、チャペルの中で一度も先生と言葉を交わしたことはない。
ただ一般教養の授業でしかお目にかからない先生ではあったが、いつも静謐で穏やかな笑顔を絶やさない方であった。
背が透けるような古びたスーツは、しかしよくブラシが当てられ、手入れをされていていた。
風呂敷包みを手にしたその姿にはなんともいえない威厳と気品があった。
「S先生、すごくいいところのお坊ちゃんなんですって・・・」
学生の間でそんなうわさがまことしやかに流れるほど、先生は本当の意味で「紳士」でいらした。
私が心のそこから「祈る人」を間近に見たのは、このS先生が初めてだったような気がする。
カトリックでもプロテスタントでもない、真実の祈りの姿を私はこのS先生に教えていただいたのだと今でも思う。

病気療養のためという特別休暇の間も、「お隣の教会」の礼拝にはごくたまにしか出席出来なかったのだが、その時間は私が私として生きるための大切な時間となっていった。
そんなある日、ふと私が口にしたS先生の名前が、ひとつの扉を開くことになる。

「あら!S先生?
戦争中、松本に疎開してらしたのよ。
その間ずっとこの教会にお通いになってたの。」

寝耳に水!
さらに追い討ちをかけたもうひとつの驚き。
「先生の奥様はね、森さんの妹さんなの。
森さんもよく松本においでになって、何度もこの教会でオルガンを弾いてくださいました。」

「森さん」とは、作家であり哲学者の森有正氏であった。
「バビロンの流れのほとりにて」そして「遙かなノートル・ダム」を初めとする森有正の著書を、私は学生時代から何度となく繰り返して読んでいた。
深い思索と豊かな感性、美しい言葉で綴られたその本は、読み返すたびごと、尽きぬ泉のように私の心を潤してくれた。
そしてまた氏は、パイプ・オルガンの奏者としても名前を知られた方だった。
戦争末期、田舎の小さな教会で、古びたリード・オルガンを弾かれる森有正と、その音色に静かに耳を傾けていたであろうS先生ご夫妻、そして教会の信者たちの姿を、私は不思議な感動と共に思い描いていた。

S先生と森有正氏が森さんの妹さんを介して義理のご兄弟であり、ともに「お隣の教会」に足を運ばれていた・・・
こうしてこの事実は、何か喜ばしい知らせ、贈り物のように私に告げられたのだった。


お隣の小さな教会との、不思議なつながりはこれだけではなかったのだが、
このときはまだ知る由もない。

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クチコミコミュニケーション
2007/12/13 14:31
偶然が行きつくところ (その2)
それから一年が過ぎ、移植も無事成功した年のクリスマス前、長男は退院した。 検査や定期的な治療のための入院はまだ必要だったが、少なくとも病院は、今までと違い目と鼻の先だった。 ...続きを見る
消えがてのうた
2008/04/22 07:38

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コメント(29件)

内 容 ニックネーム/日時
このブログを書く際、子供の病気に触れる必要はないとも思いました。
しかし、病気がなかったら、あの教会との出会いはなく、また現在の原村での生活はなかったことを考えて、あえて書かせていただきました。

確かに病気の前と後とで、私の人生は大きく変わったからです。
ある意味において子供の病気は、私の新しい人生の始まりだったと考えています。幸い長男は移植に成功し、現在は東京で自分の夢を実現すべく勉強中です。幼い頃手をかけたあげられなかった長女は、本当に心優しいそして頼もしい娘に成長してくれました。
30代でくも膜下出血という、あまり人が経験しない病気に遭遇した私は、何の後遺症もなく、すでにご存知の通り、口八丁のブログを書いております(笑)

万が一にも、ご心配くださっては、と老婆心ゆえの蛇足です。
失礼いたしました。
aosta
2007/12/13 13:17
偶然ということばを遥かに超えた、意味のあるシンクロニシティ・・・そんなふうに見えます。
神はこのように私たちの人生のところどころに伏線を張っておられるのでしょうか?
さて、aostaさんの身に起きた「偶然が行きつくところ」はどこなのでしょう。続きが気になります!
Fu Shusei
URL
2007/12/13 13:20
息子さんやご自分の病気、そのときはどうして自分だけこんな不幸にぶつかるのだろうと思われたでしょうね。今振り返ればすばらしい人とのめぐりあいや教会での祈りの時を過したこと・・・これから始まったのですね。不思議なことです。
新生児(キリストの降誕)、静かな絵ですね。幼子を抱くマリアでしょうか、表情に憂いがこもっています。
森の生活
2007/12/13 14:39
私とaostaさんの不思議な共通点が増えました。
ここでは書けませんが、できればメールでお話したいです。
なんだかすごすぎる・・・・!

aostaさん、いろいろなことがあったのですね。
私も今娘のことを通して試練の中にいるのですが、とりあえず元気なので悲観的にならないようにしています。

もしよろしかったら、私のプロフィールのところにあるアドレスにそちらのメールアドレスを教えていただけるとうれしいです。
Cecilia
URL
2007/12/13 15:59
のほほんと生きている私には想像もつかない劇的な体験をなさったのですね・・・。きっとその代わりに得られたものも大きかったのだろうとお察しします。
人と人のつながり、偶然の重なりで人生は動いていくんですよね。不思議です。
うさみ
URL
2007/12/13 20:17
何だか胸がつまりそうな想いで読ませていただきました。
でも、言葉がうまく繋がりません。ごめんなさい。

ただひとつ、確かなことは、
私とaosutaさんとは 巡り会うべきして 巡り会った存在ではなかろうか?
と思うことです。(生意気ですね、すみません)

また、時を忘れてずうっと、お話したくなりました。
ちょろえ♪
2007/12/13 21:02
なるほど・・、しみじみと、信州の清冽な空気を感じました。
皆さん、お元気で・・本当によかったですね・・。
人生ゆっくり
2007/12/13 21:26
大変でしたね。。
私もちょっと調子を崩しただけで凹みましたが、、、
そんなもんじゃ。
ふくやぎ
URL
2007/12/13 22:22
人生には時として予想だにしない出来事に遭遇することがあります。先日亡くなった弟も、自分の子供が赤ちゃんの時に白血病の診断をうけ大変な思いをいたしました。おそらく自分の命に掛けても救う決心をした筈です。その子もいまは結婚して子をもうけ、父の葬儀の時には、甥ながら声涙溢れる立派な挨拶をして周りをホロリとさせました。弟もきっと喜んだと思っています。
良いお話を読ませていただきました。
SONNET
2007/12/14 00:18
30年前、くも膜下出血の原因、脳動脈瘤の手術で、世界をリードしていたのは、信州大学脳神経外科の初代教授、杉田虔一郎先生せんせいでした、かれは優れたお弟子さんたちを多数輩出され、現在孫弟子が3代目教授になられていると聞き及んでいます。aostaさんの手術されたのも、当時世界最先端の技術を持っていられた信州大学出身のドクターだったのでしょう。今でももっとも難しい手術ですからね。
おまけに、当時の骨髄移植の技術は、術後感染症の管理方法が整っていなくて、ずいぶん関しい思いをされたご両親がたくさんいた時代でした。このてんでもすばらしい機会にめぐりあわれたとおもいます。
 想像を超える、悲嘆のなかで、それを乗り越えてこられたaostaさんには、なんだか、門外漢の僕にも、神のご加護のようなものが、ついていたように思えますね。 人生たくさんの悲しみのなかに身をゆだねているからこそ、一筋の喜びに、深く感謝できるのでしょうね。
takasi
2007/12/14 05:08
◇Fu Shuseiさん

>意味のあるシンクロニシティ・・・

神様はときどき不思議なことをなさるのですね。
しかもシンクロニシティはこれだけではありませんでした。
そしてつい最近も、びっくりするような偶然に出会いました。
もしかして私はシンクロ体質??
aosta
2007/12/14 11:37
◇森の生活さん

>そのときはどうして自分だけこんな不幸にぶつかるのだろうと・・・

確かに仰るとおり、そのことで随分辛い想いをしたときもございます。
自分のことを「不幸」とは思いませんでしたが、不条理だと思いました。
それはむしろ怒りに似た感情であったやも知れません。
問うても、問うても答えが与えられないことへの怒りです。
そして気がつきました。
答えなど与えられる必要はないのだと。もし「そのとき」がきたら、私にはそれが答えだと知らされるに違いない。
そう思えるようになって、心はすっかり明るくなりました。
私は幸せなのです。
子供の病気で失ったものより、得たことの方がずっと多いのですから。
aosta
2007/12/14 11:46
◇Ceciliaさん

>なんだかすごすぎる・・・・!

えぇっ?すごすぎる偶然?共通点?
一体何なんでしょう。早く知りたいような、怖いような(笑)。
aosta
2007/12/14 11:49
◇うさみさん
 コメントありがとうございます♪

どちらかと言えば、私も、のほほんタイプです。
そのときは無我夢中でしたので、苦労とも思いませんでしたが、客観的に見れば苦労はしたんでしょうね(笑)。
喉もと過ぎれば、すぐに熱さを忘れてしまいます。
苦労が身につかないとぼけた性格です。
でもそのことで救われたこともいっぱいあります。
aosta
2007/12/14 11:54
◇ちょろえ♪ちゃん

>aostaさんとは 巡り会うべきして 巡り会った存在ではなかろうか?

そうですよ!
子供の病気にしても、このことが次々に繋がって、ちょろえちゃんとも知り合うことが出来たんですから。
人生って阿弥陀くじみたいだと思います。
何かを選ぶ決断をしない限り前には進めません。
右か左か、その小さな選択の積み重ねが「今」なんでしょうね。
たったひとつしかない「今」を大切にしましょうね。
aosta
2007/12/14 12:00
◇人生ゆっくりさん

>皆さん、お元気で・・

ありがとうございます。
ひとごとだと思っていたことが自分のことになる・・・
小さなことでも「ひとごと」とは思えなくありました。
もし私だったら、と自分の身に置き換えて考えることが出来るようになったことはすごく大きな幸せだと思っています。
aosta
2007/12/14 12:04
◇ふくやぎさん

長男は、水戸で生まれました。水戸っぽです(笑)。
2歳になる年の春、北海道に転勤になりました。
長女は道産子です。

ヘルペス、その後いかがですか?
お大事になさってくださいね。
aosta
2007/12/14 12:07
◇SONNETさん

甥ごさんも同じ病気だったのですね。
小児白血病も、今でこそ治る病気と言われていますが、(息子は同じ白血病でも難治性といわれるタイプでした)甥ごさんの時代は、まだ治療も不安な時代だったのではないかと思います。
弟さんも、どんなにか大変な想いをされたことでしょう。

人生には目に見えない落とし穴がいっぱいですね。
気がつかないから平気なだけなのだと、つくづく思います。
なるべく落っこちないようにしたいとは思うのですが、何しろ見えない(笑)
aosta
2007/12/14 12:14
◇takasiさん

いつぞやは失礼いたしました。(takasiさんのブログに書き込んだ件です)
ブログには、個人的なことは書かないつもりでおりました。
それもこのような子供の病気については書きたくない、とずっと思っていたのですが、不思議ですね、いつの間にか客観的にあの頃のことを考えられるようになりました。
時間が解決してくれたこともあるでしょう。
素敵な出会いに慰められたり、共感した経験が、私の中でが少しづつ育ってきたのではないかとも思います。
aosta
2007/12/14 12:32
◇takasiさん、続きです。

子供が入院した当時、信大病院の小児がん治療の成績は全国的にも優れていたようですが、脳神経外科においても優秀な先生がおいでになったのですね。
倒れたとはいえ、ギネスものの記録でオペ室へと運ばれた私は、本当に幸運だったと思います。
子供の移植について言えば、長男の前後にクリーンルームに入ったお子さん二人は、感染症で亡くなられました。
とくに、私の病気で移植の順番が入れ違って予定より早く移植をなさったお子さんがなくなられたことはすごくショックでした。
順番で結果が左右されることはないのかもしれませんが、そのときの治療データーが息子の移植時に功を相したことを思うと、言葉がありません。
aosta
2007/12/14 12:33
aostaさん、クリーンルームの管理を任されていたじだいもあって、
移植そのものより、感染症でのつらい経験もあるので、よくわかります。
大学を卒業して、僕が始めて受け持った方は、2人続けて、かわいらしい子供さんの悪性脳腫瘍でした。呼吸が止まっても人工呼吸しながら放射線治療室に運び続け、挫折感にさいなまれたのものでした。その子らの名前も、顔も、お母さんも、今でも忘れず覚えております。現役を退き、内科で細々と暮らしている今でも、時に触れては思い出しております。こんな病気がなくなるよう研究をしてくださいねと語った、お母さんの言葉には、答えられないで齢を重ねてしまいました。
takasi
2007/12/14 13:35
次の記事で確信に変わりました。
ドキドキしながら読んでしまいました。
Cecilia
URL
2007/12/14 14:25
◇takasiさん

クリーンルームの管理をなさっていた・・・
長かった入院生活の中でも、子供がクリーンルームに入っていた時が一番辛かったです。なんと言ってもまだ5歳でした。
苦しいときや悲しいとき、寂しいときに、抱きしめてあげることも出来ない辛さ。クリーン・ルームの「開放」をどれだけ待ち望んだことでしょう。
毎日WBCの数字ばかりを気にしていました。

息子の移植チームのメンバーの中にも、医局に入りたての若い先生がいらっしゃいました。その先生がどんなに良くしてくださったか、言葉で言いあらわ得ないほどです。子供が高熱で苦しんでいるときは一緒になって泣きながら、がんばれ、もう少しだ!負けちゃだめだ!○○クンの体が、がんばろう、がんばろうって一掃懸命なんだ。」クリーンベッドの手袋をはめた手で、子供の手を握っていて下さったこと忘れません。
aosta
2007/12/14 20:13
◇takasiさん、続きです。

takasiさんが、患者さんやその親御さんの顔を忘れないように、私たちもまた、必死で治療にあたって下さった先生たちのお顔と名前は決して忘れません。
(申し訳ないことですが、思い出したくない先生も中にはいらっしゃました。医者である前に人間として尊敬できない方でした。)
aosta
2007/12/14 20:14
◇Ceciliaさん

私までドキドキしてきました。
一体どんなお話なのでしょう?!
aosta
2007/12/14 20:16
このブログの清々しい流れはどういう泉からがわいているのだろうと気になっていました。ご自分もご長男もあの世を望みもしないのに、覗いてきたからなのですね。偶然とも違う背中合わせには良しきつけ悪しきにつけ道が引いてあるようですが、その道は目を見張っただけでもば見えるものでもないような気がします。10年も前になりますが、小生の障害児である長男もO157で2晩生死の境を彷徨して、この世に、戻ってきました。今回aostaさんが吐露したことによって、皆さんもそれぞれの門を通りすぎてきたような印象をうけます。
イエローポスト
2007/12/16 19:32
こんにちは〜♪
あら?え?そうだったんですか?
わたくし、実はヒジョーにヤクザなカトリック者でございまして・・・(・・;)。
イースターとクリスマスになりますと、「ああ、そうだったわ。」と教会へ詣でる盆と正月的信仰心(←と呼んでいいのかどうか・・・。)の持ち主なのであります。
更に文中、森有正氏のお名前を発見し、懐かしく嬉しくなりました。あの方の文章、大・大・大好き!うーむ、やはりこれは○○的な出会いかもしれませんね〜。
書記@村民
URL
2007/12/17 16:24
◇イエローポストさん
 お返事が遅くなりまして申し訳ありませんでした。

「偶然とも違う背中合わせ」
言い得て妙な表現です。
まさしく「背中合わせ」という言葉がぴったりの「生と死」、こんなに近くにありながら、誰にもその境界を見定める事はできないのですね。
見えないことで、その存在さえも忘れてしまっているのが「日常」なのかもしれません。
息子さんがO107で大変な経験をなさったことは、以前にも伺っておりましたが、ハンディのある息子さんにとって、健康な方でも生死を彷徨う人の多いこの感染症がどんなにか大きなダメージだった事でしょう。
イエローポストさんのご心痛を思います。

>それぞれの門を通りすぎてきたような

見えない門ですね。
経験した人にしか分かり合えない門でもあるかと思います。
aosta
2007/12/18 22:05
◇書記@村民さん

わあ〜い!
おいでくださって嬉しいです。
でもでも・・・

>実はヒジョーにヤクザなカトリック者でございまして・・・

それは全く存じ上げませんでした。
でもなんだかとても嬉しいです!
私の根っこはやはりカトリックなんだな、と最近良く思うようになりました。
森有正さんがお好きと伺い、なぜか納得のaostaです。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
aosta
2007/12/18 23:10

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偶然が行きつくところ (その1) 消えがてのうた/BIGLOBEウェブリブログ
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