消えがてのうた

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zoom RSS フリードリヒ 「氷海」・希望号の遭難 

<<   作成日時 : 2008/01/31 23:08   >>

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せめぎあう氷と空気がそのままひとつに結晶化していくような張り詰めた緊張感。

氷海の上には青紫色した空が一枚の布のように広がっている。
氷がせりあがる時の、きしむような金属音は実際の音なのか、それとも幻聴なのか。
音さえも凍りついたかのような極北の海。

眼を転じると、絵の右側には黒々と傾いた船のシルエット。
押し寄せる氷の中に閉じ込められた船は、さながら捕らわれた獲物のように、もはや身動きとてできない。

やがて氷の海に飲み込まれる運命にあるその船の名は「希望号」
その希望のなんと小さく無力なことか。
張り詰めたような青空を鋭角に切り裂いて屹立する氷は、沈みゆく船の墓碑であるかのごとく天を指している。
風景は、この船の最期を看取るかのように、身じろぎもせず、静止している。
黙する自然の眼差しは、大きく、果てもなく、揺るぎなく、ただそこに在る。


画像

氷海(難破した希望号)1823-25  ハンブルク美術館



ドイツ・ロマン派の画家、カスパール・ダヴィッド・フリードリッヒ(1774-1840)の描く自然は、己が存在だけを沈黙のうちに主張する恐ろしいまでに孤絶した自然、である。
北方プロテスタント的なストイックなまでの眼差しを通して見るそれは、壮絶にして、深い精神性とともに神秘的な静謐のうちにある。


フリードリッヒは少年の日に厳寒の川で弟を喪った。
目の前で氷が割れ、心臓も止まる冷たい水の中に沈んだまま二度と帰ってこなかった弟。
その逐一を、おそらく声を立てることも出来ない恐怖の中でただ「見る」ことしか出来なかった少年。
けれども彼は全身全霊で「見ていた」に違いない。
そして後年、画家として起ったフリードリヒは、見たものの中から普遍的真実だけを濾過するために、眼を閉じる。
「まず精神の目でタブローを見るために、きみの目を閉じるがよい」
抗うことの出来ない運命の力。
与えると同時に奪うものでもある酷薄なまでの自然。
孤独と喪失、神秘に満ちた自然。
人間の思惑では推し量ることのできない、大きな自然の全てを、彼は精神の目で見たのだ。



「神はどこにでも実在する」

この言葉を残したフルードリッヒは、その言葉の通り自然の中に神性を感じた画家であった。
彼の精神は、広大にして豊かそして絶対的な自然と奥深いところで共感し、自然が織り成す風景に象徴的・悲劇的なドラマを見出した。
彼の描く風景画には、まるで宗教画に見られるような怖れや畏怖の念が表現されている。
どこまでも透徹した光は、暖かいと言うよりはむしろ冷たく厳しい。
その光に浮かび上がる風景もまた孤独であり、絶対的でゆるぎない意志を感じさせる。



この絵に描かれている希望号は、1819年、ベーリング海峡において氷海に行く手を阻まれ、不運な最期を遂げたウィリアム・バリー率いる北極探隊の船であった。
その悲劇の記憶もまだ生々しかった1823年に書き始められたこの絵は2年の歳月をかけて完成された。
荒涼と静まり返った極北の海、全てを拒否するかのように屹立する氷山の連なり。
救いの無い寂寥だけが粛々と支配する世界。
この沈黙する風景の絵はバリー隊へのひそかな鎮魂であったのかもしれない。

未踏の地を征服したいという人間の希望は、大いなる自然の前には大それた希望でもあったのだろうか。
人間の営みの何という小ささ、非力さ。


「希望号」・・・

一度は晴れやかな未来と輝かしい成果を望んでつけられたのであろうその名前には、今、大きな悲しみがある。




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コメント(12件)

内 容 ニックネーム/日時
いろんな北極や南極探検や冬山に挑戦し、遭難とかの記事は想像を止めてそれ以上みえませんが、こういう絵を描く心のすわりは静かに静かにみている他ありません。内省というのはこういうことが見えるということでしょうか。
イエローポスト
2008/02/01 08:28
 おはようございます。
 この人、ブルックナーなんかのCDジャケットに、やたら使われてる人ですよね。山や平原等のイメージが強かったのですが、TBなさった記事を見ると、海の絵ばかりなのでちょっとびっくりしました。
Nora
2008/02/01 09:56
◇イエローポストさん

コメントありがとうございます。
「心のすわり」深い言葉ですね。しばし考え込んでしまいました。

>静かに静かにみている他ありません

内省とは内静があって初めて成立するものであるのかもしれないと、イエローポストさんのコメントを拝見して思いました。

aosta
2008/02/01 10:17
◇Noraさん

言われて初めて気がつきました。
ほんと!私が好きな作品はみな海に関係した作品ばかり。何か私自身気がついていない理由でもあるのかしら??
ブルックナーのCDに限らず、フリードリヒのジャケットは最近良く目にしますね。特にブリリアントに多いような気がします。
ジャケットが美しいとそれだけで欲しくなってしまう私には目の毒です。

Noraさんのブルックナーの記事、拝見させていただいたのですが、私はブルックナーのシンフォニーをあまり聴いていませんし、嵐のようなコメントの応酬に度肝を抜かれて、そのまますごすご引き下がりました(笑)。
けれどもその後急にブルックナーが聴きたくなってミサ曲の1番から3番を続けて聴いてしまいました。ヨッフム指揮のバイエルン放送合唱交響楽団。1963年と録音は古いですが、演奏は素晴らしいです!
aosta
2008/02/01 10:35
この絵は絵の解説書にはよく出ているのですね。いままで見過ごしていて、あらためて読みかえしました。凍る海をここまで冷静にながめ描けるというのはすごい精神力ですね。当時の人たちがどういう思いでこの絵を見たのか、おおいに興味があります。
森の生活
2008/02/01 13:24
「きしきし」と氷が押し寄せてくる音が、響いてくるようです。その船に乗船していた人はどうしたろうか、残された人はどうしたろうか、と考えてしまいます。その情景を静に描ける作家は、どんな人だったんだろうと。想像の翼があちこちに広がっていきます。それにしても、aostaさんの解説はいつもきっちりと文字にしていて、素晴らしいですね。
沙羅
2008/02/01 13:59
人の心胆を寒からしめる絵だと思います。自然に対する畏怖を真っ先に感じます。いま、凄まじい勢いで進んでいる人間の手による自然破壊、絶対神に対する愚かで傲慢極まる所業に、多分この社会はやがて滅ぶとぺシミスチックに考えさせるだけの暗示がありますね!反省なき卑怯が大手を振っている現代社会に神の恩寵、救済は無いと、フリードリヒは警告しているのかもしれません。その問いかけに対する解答は神ではなく、人間なのですから・・・
それから、これは読み齧りのことですが「ゲド戦記」の映画を象徴する一枚の絵を選ぶ作業のとき、クロード・ロラン、ピーテル・ブリューゲル、とこのカスパール・ダヴィッド・フリードリヒが候補にあがって、ヒントを与えたとのことです。
SONNET
2008/02/01 17:26
aostaさん、こんにちは。
わたし、まず文章も読まず、こちらの絵に釘付けになりました。
『あっ!諏訪湖の御神渡りみたい!』と思ったので。
(いつも幼稚でごめんなさい。)
希望号ですか…。
あ〜ぁ。色々考えて、続かなくなっちゃった。
今年は御神渡りが見られるそうですね。
自然の力ってすごいといつも思います。
一度でいいからこの眼で見てみたい景色です。
テーマにそれたコメントでごめんなさい。
風邪、ひかないようにしてくださいね♪
ちょろえ♪
2008/02/01 18:50
◇森の生活さん

おはようございます。
今朝も寒いですね。−15℃くらいはあるかしら?
絵に関してはなるべく自分の感性で感じたものを書きたいと思っています。でもかつて読んだ本の記憶に左右されてしまうこともありますね。
フリードリヒは昔は(20年ほど前)はあまり知られない画家でした。
あのころ探し当てた美術出版社の「ロマン主義芸術」は宝物のような一冊です。あの本も確か絶版。

今こうしてフリードリヒの絵に人々が魅かれるということは自然に対する見方がすこしづつ変わってきたということなのかもしれません。
自然への畏怖、かつてわたしたち日本人には当たり前の感覚でした。
aosta
2008/02/02 07:45
◇沙羅さん

コメントありがとうございます。
フリードリヒの時代、こうした事件はどのように、またどの程度まで一般の民衆に知られていたのでしょう。
また十分な情報がない分、人々の想像力はいっそう描き立てられ、より深刻何ものになっていったのかもしれません。
フリードリヒにしても、この悲劇についてどれだけ具体的な情報を持っていたでしょう。この悲劇に立ち向かった人々のドラマは、描かれたものがしんと静まり返った船の残骸と氷の海だけだからこそ、より痛切に胸に迫ってくるのかもしれませんね。
「精神の目」でみた"真実″は目で見た事実とは異なる所にあったのだと思います。
aosta
2008/02/02 16:38
◇SONETTさん

フリードリヒが自然に見出した神性。
汎神論的文化の中で育った私たちには何の抵抗も無く受け入れられる感覚ですが、全ては神の被造物であり、人間が世界の頂点にあって支配するものである、と言うキリスト教的な世界観、自然観のなかでは理解されにくい感覚であったかと思います。とはいえ、もともと北ドイツは森の民、森の文化。キリスト教以前の精神風土は森羅万象の中に神を見ていたはず
フリードリヒは忘れられていた自然への怖れを取り戻した画家でもあったのですね。

クーロード・ロラン!!
大好きです。彼は風景の断片で、世界を丸ごと描ける画家だと思います。
aosta
2008/02/02 16:52
◇ちょろえ♪ちゃん

こんにちは♪
そうそう!御神渡り!!
今年は二年ぶりの出現でした。
新聞に載った御神渡りの写真、規模こそ違えまさにこの絵の通り。
氷海の氷にしても諏訪湖の御神渡りにしても、自然の持つエネルギーの巨大なことに驚きます。

御神渡りを男神が女神の元に通った道筋の後と考えた古代の人々のロマン。昔の恋の方が今よりずっとおおらかだったんですね。
aosta
2008/02/02 17:00

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