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zoom RSS ヤーコプ・ヨルダーンス 『聖家族』  

<<   作成日時 : 2008/02/06 11:35   >>

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もう先月の話になってしまいましたが、松本市美術館で開催された国立西洋美術館所蔵作品巡回展に行ってきました。
サブタイトルには「神々と自然のかたち」。

ヨーロッパの美術をより深く理解する上で重要なのはギリシャ・ローマ神話とキリスト教であるとはよく言われることですが、今回の美術展のテーマも「神々と自然」という視点からの展開です。
その中で強く印象に残った一枚の絵が、ヨルダーンスの「聖家族」でした。


画像

ヤーコプ・ヨルダーンス 「聖家族」 1620年頃 国立西洋美術館



ポスターにも使われているヨルダーンスの「聖家族」。
母マリアに抱かれ、父ヨセフの眼差しの元で微笑む、幼児キリスト、一見して穏やかな愛情に溢れた絵です。しっとりとした憂いを浮かべたマリアの胸にもたれるように抱かれているキリストは愛くるしくまるまると太っています。
差し伸べられた右の人差し指の先にあるものは、神の道でしょうか。
それとも幼い子供が何か急に興味をひかれたものを無邪気に指差す、あの仕草でしょうか。

しかしヨセフは・・・
光を浴びて浮かび上がるように描かれる聖母子に対して暗い背景の中に半分沈んでいます。
口許にこぶしをあて視線を落としたその表情には、苦しみや悩み、悲嘆さえもが感じられます。
健やかな美しさに満ちた若きマリアと、老いたヨセフ。
キリストの母としてのマリアが、列挙のいとまがないほど数多く描かれているのに比べ、ヨセフが描かれた作品は驚くほど少ないのです。

灯りの中に浮かび上がる聖母子と、主の降誕に駆けつけた羊飼いたちに主眼が当てられた同じくヨルダーンスの作品「羊飼いの礼拝 」
ここでも、聖母子をひっそり見守るヨセフは、光の当たらない後方に描かれています。

マリアの配偶者であり、キリストの養父であったヨセフ。
許婚とはいえ自分のあずかり知らぬところで懐妊したマリアを一度は離縁しようとしたヨセフでしたが、夢に現れた天使によってマリアの受胎を神の業(わざ)であることを受け入れました。



『母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたになることを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。
このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。
「ダビデの子、ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名づけなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。

・・・中略・・・

ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れ、男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった。』

                         マタイによる福音書 1:18〜25 新共同訳



聖書はただ簡潔に、このように書いています。けれどもはたしてヨセフは何の葛藤もなく、この不条理を、またマリアを受け入れることができたのでしょうか。
もしかしたら、マリア以上の悩み、苦しみ、迷いがそこにあったのではないかと私は思います。
子供を宿す、ということは女性にとってある意味本能的な許容。
しかし男性が父になるということは、また別の意識、認識であり経験なのではないか。
マリアと同じくヨセフもまた、その信仰ゆえに選ばれた、と言ってしまえばそれまでですが、夫として、父親としてのヨセフの葛藤がどれほど深刻なものであったか想像を超えています。
しかも彼は、マリアとキリストを家族として守っていくという大きな責任がありました。全ては神様のご計画であったにせよ、現実にあって矢面に立つのはヨセフをおいて他にはいないのですから。

マリアの受容。
そしてヨセフの覚悟。
それはぎりぎりのところに立つ、後のない覚悟。
信じて受け入れる、積極的な、しかし悲壮ともいえる覚悟であったことに違いありません。
平安や慰めとは無縁の覚悟です。

けれども聖書でマリアが語られたように、ヨセフが語られることはありませんでした。
おそらくは、キリスト磔刑以前に死んだと思われるヨセフですが、その記述は聖書のどこにもありません。
キリストの十字架上の死を見届け、キリストの母として弟子たちに敬愛され、見守られて逝ったマリアに比べ、ヨセフはその最後まで影の存在なのです。

神の子の受肉という奇跡のための器として用いられたマリアに「キリストの母」と言う位置づけがなされても、養父としてのヨセフにスポットが当たることはあまりないのでしょうか。

ヨルダーンスのこの作品は、人間イエスの「この世での父」であることを全うしたヨセフの生涯を考えさせられた一枚となりました。
ヨセフという人間は、聖書に書かれている以上に大きな存在、大きな人間であったのではないかと思ったのです。



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コメント(12件)

内 容 ニックネーム/日時
ヨセフというと子供たちのクリスマス聖誕劇をおもいだします。「とんとんとん、今夜の宿をかしてくださいな」とたのんで宿屋の主人に断られるヨセフ、そんな苦労がにじんでいるようなヨセフの表情です。神の業を信じていたには違いありませんが、そこにはaostaさんいわれるような葛藤があったに違いありません。画家はそんなヨセフの心を描いたのでしょう。心ひかれる絵ですね。
森の生活
2008/02/06 16:00
 お正月に松本に行ったので、私もこの絵を観ました。やはり、このヨセフの風貌に驚きました。そして画家の意図に思いをめぐらしました。私の死っている数少ない話を思いかえしているうちに、イエスさまがまた近くに来られたような思いになりました。神の御子を育てた人、ヨセフの存在を再認識したおかげかもしれません。どこで見たのか、子どもの頃イエスが父の大工の仕事を手伝っている漫画のような絵を思い出しました。幼いイエスの無邪気な笑顔を慈しみの眼差しで見ているヨセフの印象が残っています。
alex
2008/02/06 19:54
西洋美術館所蔵作品展、ということは、この絵っていつも西美に飾ってあるんでしょうか?見た記憶がないような気がします。他にはどんな絵が来ていたのでしょうか。あそこで一番のお気に入りはクールベの波の絵です。
家族、というタイトルでありながら、聖母とキリストと、ヨセフの間には大きな溝があるように見えます。
うさみ
2008/02/06 21:14
ヤーコブ・ヨルダーンスにはもう一枚「エジプトからの帰還」に描かれた聖ヨゼフの幼子イエスをみつめる優しい慈父の顔も忘れられません。あとグイード・レーニの「イエスを抱くヨゼフ」という稀有な作品でも、彼は優しい眼差しを注いでいます。それと今回、松本での一枚、aostaさんの目を通して濾過された審美なご感想を読ませていただくと、聖ヨゼフの生身の人間としての喜び(献身)と、悲しみ(苦悩)が一層、際立って迫ってくるようで
胸が熱くなってきます。SONNET
SONNET
2008/02/07 12:12
◇森の生活さん

クリスマスの聖誕劇、確かに一番ヨセフにスポットが当たるときかもしれませんね。身重のマリアを伴い、必死で宿を探したであろうヨセフの心情を思うと、胸が突かれます。その後のエジプト逃避、帰還の際も幾多の艱難辛苦をなめたことでしょう。
画家が描くヨセフにもそんな感情移入があったのかもしれませんね。
aosta
2008/02/07 22:04
◇alexさん

イエス様にも普通の子供としての日常、喜びや悲しみがあったことは当たり前なのでしょうが、考えてみると不思議な気持ちもいたします。
けれどもヨセフとマリアは、イエスが「二人の子供」として与えられた(託された)意味を考えない日は無かったのではないかと思います。
いつか訪れる「その日」を見据えながらの毎日は闘いそのものであったやもしれません。

ヨセフゆえの哀しみ・・・
それもまた信仰の捧げ物だったのだと思います。
aosta
2008/02/07 22:42
◇うさみさん

クールベの「波」迫力ありますね。
北斎が描く「波」が研ぎ澄まされた美的感性の表象であるなら、クールベの波は、怒涛のような混沌。人間的感情が逆巻くような生々しい迫力と生命力に溢れているように思います。

ヨルダーンスのこの絵、巡回展に貸し出されることが多いのではないでしょうか。西洋美術館所蔵に間違いは無いのですが。

>聖母とキリストと、ヨセフの間には大きな溝があるように見えます。

私も同じことを感じます。この溝は何なんでしょうね。

ヨルダーンスは確かカトリックだったと思いますが、カトリックでは「無原罪の聖母」としてマリアは特別な存在。「聖家族」の中で「原罪」を免れているイエスとマリアの二人には光が当たり、原罪を背負ったままの「人間」ヨセフは影の中にいる・・とはうがった見方でしょうか。
aosta
2008/02/07 23:09
◇SONNETさん

グイード・レーニの「イエスを抱くヨゼフ」、今回のブログをアップするに当たり、ヨセフが描かれた作品を探しているうちに出会いました。
幼いイエスを抱くヨセフはまさに慈父の眼差し。なんとも暖かく、また意外性に満ちた絵でした。確かにヨセフもこうしてイエスを抱いた至福の時があったことに熱い感動を覚えました。

昔、クロード・ロランの「聖家族のエジプト逃避のある風景」を見たことがあります。緑濃い田園風景の中に点描のように描かれた3人の人物。
(イエスはまだ赤ん坊なので人物、という感じではないかもしれませんね)不思議な透明感と広がり、静謐に流れる時間を感じた忘れがたい一枚です。
aosta
2008/02/07 23:34
トップページよりメッセージもお送り致しましたが、念のためこちらにもコメントさせていただきます。

当記事よりトラックバックをお送りいただきました拙記事で紹介しました映画『マリア』のDVDが昨金曜日に発売されました旨をお知らせします。

同映画の公式サイトにてDVDの発売について報じていますので、そのURLもご併せてお知らせします。ご参考まで。

http://maryandjoseph.jp/index.html
Tenor1966
2008/06/29 19:04
◇Tenor1966さん

嬉しい情報を頂きましたのにお返事が遅くなりまして申し訳ございませんでした。早速注文いたしました!
早く見たい気持ちばかりはやります。

私は歌わないのですが、早くもクリスマスコンサートの準備が始まりました。プレトリウスやクレメンス、スカルラッティといったルネサンス期の作曲家によるクリスマスの宗教曲がメインのコンサートです。
私の仕事はコンサートの構成とナレーション。
思いがけないかたちでしたが、コンサートに関わることができてとても嬉しいです。
aosta
2008/07/26 23:40
映画『マリア』のDVDを注文されたとのこと、aostaさんがご覧になられたご感想などをもし伺えればうれしく思います。

私自身は先週の土曜日に「土曜音楽礼拝」という行事に助っ人として参加したところです。そして8月末にはその聖歌隊の合宿があり、冬に行なう「市民クリスマス」という演奏会に向けての練習が始まります。

どうぞお元気でお過ごしください。
Tenor1966
2008/07/30 17:01
◇Tenor1966さん

コメントありがとうございます。
DVDは手元に届きましたが、まだ見ることができずにいます。6月末から仕事を始め、生活のリズムが大きく変わりました。
ただ興味本位で見る映画と違い、これはじっくり心を落ちつけて虚心に見たいと思うとなかなか時間がありません(哀)。
感想はきっとブログにアップしたいと思っておりますのでもう少しお待ちくださいませ。

>「市民クリスマス」という演奏会に向けての練習が始まります。

tenorさんも、ですか。
本番は一回でも、そのために費やされる時間は長いですけれど、その時間を楽しみながら12月を待ちたいと思います。
暑さ厳しき折、ご自愛ください。
aosta
2008/08/04 07:49

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