消えがてのうた

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zoom RSS 夏の花束

<<   作成日時 : 2008/02/29 07:18   >>

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朝陽が差し込む店先に
折取られたばかりのような
あざみの花が ひと抱え
ブリキのバケツに投げ入れられていた

すっくと元気よく伸びた葉先には
水滴が白く 光っていた


画像




棘だらけのあざみ
そのひと抱えを 
大きな花束にして 帰った日

棘の痛みは 哀しみに似ていた
哀しみと喜びは 
同じ身振りで
優しく 
私の胸を痛くした

無邪気な朝の
喜びと哀しみ

それは いわれのない感情でもあった
哀しみながらも 
口許には大好きな歌が浮かんでいた
空には銀でめっきされたような風が吹いていた
行き交う人の足取りは 活気に満ちていた

あれは いったい 
いつのことだったのだろう
線路沿いの小さな商店街



明るく晴れ渡った 夏の朝だった
道は早くも 打ち水で黒くぬれていた



2008/02/29 by aosta




画像





あざみ(薊)  花言葉は「独立」

         「口をもて 霧吹くよりも こまかなる
                  雨に薊の 花はぬれけり」 長塚 節


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タイトル (本文) ブログ名/日時
空に向かう花 ・ 空に煙る花
あざみの花がひとつ。 空と草原の間で、意志そのものであるかのように、凛と、空に向かって咲いていました。 ...続きを見る
消えがてのうた
2008/03/06 07:53
スカルラッティのチェンバロ・ソナタを聴きながら・・・
D.スカルラッティのチェンバロ・ソナタ ホ長調のアンダンテ(K.215)を聴いていたら、むかし読んだ立原道造の詩が浮かんできました。 ...続きを見る
消えがてのうた
2008/03/06 07:58

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コメント(21件)

内 容 ニックネーム/日時
雪の中で真夏の花を見るとは・・・夏の花たち、いま雪の下でどんな夢をみているのだろうか。
森の生活
2008/03/02 07:45
昨日は美人で8頭身にも見える、たち振る舞いの優雅なチェン・ミンの演奏会が東京経済大でありました。毎年1回は会員から要望をあつめて著名な演奏家を招くのです。
前置きがながくなりましたが、この人の二胡はとくに哀愁を包みこむような喜びを朗々と自由自在の引き語りでした。それはこのアザミの凛とした姿にも似ています。
ニ胡を教えた父上も京劇のための軽妙な太鼓や鉦を演奏したり、どれもすばらしかったのですが、親子でニ胡のデュエットは交互にさざ波が寄せ合うような、聴衆はただその浪間にたゆとうとしていればよい。またギターもはいっていたのですが、山寺の鐘のように低音で、こだまが谷間に消えゆく大きくボオウンつつむような感じでしたし、もうひとりは中国人の琵琶や三味線や琴がくわわり、日本的な感じに近い響きでした。また彼女の母はは京劇の女優で舞をみせてくれましたが、まるで娘のようでした。
演奏会が終わってCDを買った人には「握手とサイン券」があり、小生も初めてですが、こちらの胸はときめき、が彼女の手は意外に冷たかったものでした。とてもハッピーな気分で帰途につきました。
イエローポスト
2008/03/02 08:16
 おはようございます。「哀しみと喜びは 同じ身振りで 優しく 私の胸を痛くした」…そうです、確かにそういう感情です。そして「いわれのない感情」でもあります。モヤモヤとくすんでいた自分の思いがキラキラした結晶になったようで、とても爽やかで嬉しい朝です。ありがとうございました。
alex
2008/03/02 11:00
清清しい水玉がぽとりと落ちて、秘めた小さな悲しみがふわっと浮き上がってくるような、ある夏の朝の心象風景!結びの長塚節の歌も素敵でした。
私には、詩ごころがありませんので、ふと思い浮かべた、立原道造の「薊の花のすきな子に」の一連の詩の中から「音楽がよくきこえる だれも聞いていないのに ちいさなフーガが 花のあひだを 草の葉のあひだを 染めて流れる」の一節を返歌とします。
sonnet
2008/03/02 11:24
腰はどうなさったかとちょくちょくのぞかせていただいていましたが、
復活記事を拝見するの、出遅れてしまいました(T_T)。
たまにでもPCに向かうことが出来るくらいの体調に戻られたようで、良かったです。でもほんと腰は大切ですから、ご無理なさらず、お大事になさってくださいね。
アザミは花は美くしいですが、あまりお花屋さんで見かけませんよね?野に咲く花、というイメージがあります。「独立」という花言葉がぴったりですね・・・。
うさみ
URL
2008/03/02 19:27
◇森の生活さん

朝一番のコメント、嬉しく拝見いたしました。
そうですね、確かにあざみは真夏の花。
でも、実際の季節とは無関係に、遠くなった意識の底から唐突に浮かび上がって来た時の彼方の記憶です。
深い時間の海の中で長いこと忘れられたまま眠っていたあざみの花。
きっと今が目を醒ますときだったのでしょう。
aosta
2008/03/02 19:56
やっとこさブログ復活しました。
またよろしくお願いいたします。

アザミの花、私、好きです。
あのすっくとした感じと棘がどことなく強がってるようで(笑)
花言葉は独立なのですか。
何かと孤立しがちの私が独立できないのは強い意志がないからかもしれない。。。
そんな風に思いました。
ちょびママ
URL
2008/03/02 23:44
◇イエローポストさん

コメントありがとうございました。
二胡は、すすり泣くような咽ぶような哀愁を感じさせる音色ですね。
一度だけ、音を出してみたことがあるのですが、大人手の平ほどもない小さな共鳴箱、緩んだ状態の弦。そして弓が、弦の間に固定されているという、それまで私が知っていた弦楽器のイメージと随分かけ離れたものでした。
あんなに小さいのに、音自体は決してひ弱ではありませんでした。

チェン・ミンさん、まだ写真でしか知りませんが、その限りでは確かに燐としたあざみのような佇まいの女性ですね。
aosta
2008/03/03 13:52
◇alexさん

あざみを買い占めてひとかかえもある大きな花束を抱えて帰ったのは、まだ20代のころの夏の日でした。
悲しいのか嬉しいのか、それともやるせないだけなのか、わけがわからないまま自分で自分の気持ちをもてあましていたあの若かった日々。
あの輝かしい朝の、説明しようもない気持ちが、あんなにも鮮明に残っていたなんて、言葉にしてみるまで気がつきませんでした。
焦燥、歯軋り、悲しみ、自持、自己愛と裏返しの嫌悪・・・
そうした相容れない感情と共に逢った不謹慎とさえ思える喜びの感覚。
唐突な磁気嵐にでも見舞われたような不可思議な感覚は未だになまなましく残っていて私を戸惑わせ、苦く甘いその感覚を思い出すとき、自分が限りなく優しい人間に慣れるような錯覚に陥ります。
自分の弱さ、優しさが作り物ではないと涙のうちに思える一瞬でもあります。
その愛に溢れた暖かさを感じている時間もまた、はかない一瞬なのですが。

aosta
2008/03/03 14:09
◇sonettさん

最近コメントを戴くたびに思うことなのですが、何か不思議にシンクロする物を感じてしまいます(笑)。
今回の立原にしても、以前同じ詩をブログに取り上げたことがございます。
立原道造は、私の20代と切っても切れない思い出です。
彼の詩の中に返歌としていただいた「薊の花のすきな子に」の一編を発見したときには、きゅっと息が詰まるような感じを覚えたものでした。
今、そしてこれから、私がどれだけたくさんの、そして素晴らしい本を読んだとしても、私の全ての原点はあの頃。読む愉しみを知った小学校の昔から、読んで読んで読み漁った10代、20代のころの経験には及ぶべくもない、という感じがいたします。もちろん年齢を経て初めて到達する本もあり、そうした本に出会うたび、年を取ることも捨てた物ではないことを嬉しく思います。もちろんこうした感覚は読書だけでなく、音楽を聴く場合にも同じことが言えるのですが・・・
aosta
2008/03/03 14:32
◇sonnet さん

つづきです。
若かった頃の、先走る想いや過度の期待から開放されて、心穏やかに読書や音楽を楽しめる喜び。
こんな日が来ようとはあの当時は思ってもいませんでしたが。
なんて書くと随分年取った気分になってしまいましたが、わくわくどきどきへの好奇心は変わっておりません(笑)。
aosta
2008/03/03 14:34
◇うさみさん

>出遅れてしまいました(T_T)。

とんでもありません!!
本来ならばお見舞いを戴いた私のほうから出向いてご挨拶申し上げなければならないところを大変失礼いたしました。

あざみは野に咲く花・・・
最近は園芸品種のあざみも目にするようになりましたが、本来はまさに「野の花」ですよね。
大学に入学して上京したさい、八百屋さんに花が売っていないことが残念でした。あの当時信州では、フツーに八百屋さんで花が買えたんです。
もちろん花屋さんにあるような華やかな花もなければ種類も少なかったし、たいていブリキやポリのバケツにどさんと無造作に入れられて、大根やトマトと一緒に売られていました。
でもその花たちはどれも新鮮で、迎合しない強靭な美しさといったものが確かにあった、と思います。園芸品種にはないその素朴さが好きでした。
あざみは、その最たるものでした。
花言葉は「独立」。
このことを知ったとき私はあざみのために密かな快哉を叫んだものでした。
aosta
2008/03/03 14:45
◇ちょびママさん

ブログ復活、何よりです!!
早く弥生、啓蟄も間近ですものね。
(あ、決してちょびママさんのこと、虫と一緒に考えているわけではありませんからね!)
こちらでは昨日も雪が吹雪いたり、黄砂に花粉とあまり嬉しくない情報も耳にする季節ですが、とにもかくにも春!です。
新しい記事、素敵なお写真を楽しみにしています。
aosta
2008/03/04 08:05
棘はやわらかい棘になりましたか?
アザミには棘が生えているし、強靭だけど、フォルム自体は丸いですね。

Fu Shusei
2008/03/05 20:46
なんかアンニュイな感じですね。
まるでいけない遊びをした子供のような・・・
サガンの小説を思い出します。
aostaさんの感受性は、すばらしいと思います。
pale moon
2008/03/05 21:07
◇Fu Shuseiさん

なぜあざみが好きなのかと言えば、私はあざみの花に清々しい矜持というか、一種誇らかなモノを感じるからです。
「独立」という花言葉も同じような連想から、この花に与えられたのかもしれません(スコットランドの国花でもありますよね)。
迎合しない、打たれない、華やかではないけれど存在は確かな強さを持って主張する・・・
棘は「彼女」の自持のひとつの現れであり、必ずしも他を攻撃したり自己防衛のために振りかざすものでもない。
今も昔も大好きな花、あざみは真っ直ぐ空に向かって花を開きます。
私は強靭であると同時に可憐なあざみが昔も今も大好きです。
aosta
2008/03/06 07:42
◇pale moon さん

おはようございます。
コメントありがとうございました♪
サガン、ですか・・・
まだ十分に若かった頃の苦さ、ひそやかな痛み、さりながらの驕り。
そんな感覚は確かにありました。
今となっては懐かしい痛みとして蘇るあの夏の日々は、同時に今の私の時間にずっと繋がってきている、というのも実感です。
私は今もあの大きな花束を抱えてるのかもしれませんね。
aosta
2008/03/06 07:50
「哀しみと喜び」って、似てますよね。
例えば、文芸作品には当たり前に出てきますけど、文芸作品だけではなく、どんな人にもありますけど、愛なんて、苦しみなのか喜びなのか、どっちなんだろう?って誰でも考えますからね。
悲しみが綴られている詩だと思います。
特に詩の後半が意味の無い言葉で、綴られている(羅列に近い感じで)ので、その辺が更に効果的に悲しみが強調されていると思います。
「あざみ」の花言葉もありますけど、その花言葉にも比喩がかけられていると思います。花言葉はこの詩には出していないけど、それを知る人に、この詩全体に比喩がかけられていると僕は思います。
坂本誠
2008/12/31 09:40
◇坂本さん

コメントありがとうございました。
お返事が遅くなりましてごめんなさい。

この詩の原風景とも言うべき思い出(光景)は、まだ20代のころのものです。あの日、朝の光の中に輝いていた街並みの記憶はいまだにリアルによみがえって胸を痛くします。
そしてその痛みは同時に若さゆえの矜持に誇らかに支えられている痛みでもありました。あざみのとげの鋭さは、同時に私の矜持そのものでした。
aosta
2009/01/08 21:59
詩を読み、繊細なaostaさんの魂に触れ、心が震えました。悲しみと喜びの同時性=Bわたしはいつも、一つの詩には、悲しみか喜びかどちらか片方を書かねばと無意識のうちに操作していたことに今気付きました。しかし、aostaさんの詩から、人の心って、そう単純なものではないと思いました。そのままを、すとっと落とした言葉がいいのでしょうね。
銀メッキの風。「メッキ」には作り物という意味合いは入っているのですか?
aostaさんの心境に共感しながら詩のほとりを歩むうちに、打ち水で黒くぬれた道路にでて、足が地に着いた感じがしました。
aostaさんの知性や感性がいつも新たな水を吸収して活き活きと脈打ってくださることを心から祈っています。
bunbun
2010/03/21 17:33
◇bunbunさん

お返事が遅くなってすみません。
「銀メッキされた風」と言う表現は、明るく輝く朝の光の中でことさら冷たく感じた風に「銀メッキ」と言う言葉を当ててみたように思います。
同時に、いつもでしたら頬に心地よい朝風も、喧騒に満ちた朝の雰囲気も、喜びと悲しみの中で揺れていた私の想いとは乖離した風景であった事で、どこかよそよそしさを感じる風であったことも、この言葉にたどり着いた原因であったように思います。

遠く過ぎ去った若い日の想いの痛みがずっと心の底に沈んでいて、いつしかそれは私にとって愛しいものへと変わった行きました。
人の心は不思議ですね。
aosta
2010/03/24 07:40

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