消えがてのうた

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zoom RSS 『風』 二題

<<   作成日時 : 2008/03/12 09:55   >>

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堀 辰雄 『詩』より        

僕は歩いてゐた
風のなかを

風は僕の皮膚にしみこむ

この皮膚の下には
骨のヴァイオリンがあるといふのに
風が不意にそれを
鳴らしはせぬか



皮膚の下にある骨のヴァイオリン・・・
その音色はきっと軋んで悲しい。
ひりひりと吹きつける風で、人知れぬ想いが音を立ててしまわないようにと怖れるように、まちがっても心が響いて骨のヴァイオリンをかき鳴らすことがないように、この詩には何かを押さえ込んでいるような寂寥にみちた思いがある。



画像



そしてもうひとつ。
懐かしい記憶の中にある、あの「風」のうた


たあれか風を見たでしょう 
僕もあなたも見やしない 
けれど木の葉を震わせて 
風は通りぬけてゆく

たあれか風を見たでしょう
あなたもぼくも見やしない
けれど木立が頭を下げて
風は通りすぎてゆく


Who has seen the wind?
Neither I nor you:
But when the leaves hang trembling
The wind is passing thro'

Who has seen the wind?
Neither you nor I:
But when the trees bow down their heads
The wind is passing by.



西条八十の訳詞で有名なこの詩は、新約聖書のヨハネによる福音書3章8節
「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。
霊から生まれたものもみなそのとおりである。」
からインスピレーションを得て書かれたとされている。
作者はラファエル前派の画家ガブリエル・ロセッティの妹であり詩人であったクリスティナ・ロセッティ。

原詩と訳詩のイメージは随分異なる。
ロセッティの詩がささやく神秘的で謎に満ちた風。
一方、西条八十の無邪気な風。

堀辰雄の心に吹いていた荒涼とした風も、ロセテッィの囁くような風も、西条八十の幼い驚きにみちた風も空の高みを流れていく。
風は予兆であり、何かを運ぶものである。
そして私にとって風は、歌うものでもある。


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消えがてのうた
2008/03/13 08:11

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コメント(16件)

内 容 ニックネーム/日時
大学生だった昔、図書館で「私ではなく、風が」という題名の本を見つけ、
心を躍らせたことを思い出しました。
内容は忘れてしまいましたが、D.H.ロレンスの妻(?)の
著書だったように記憶しています。
冷たさ暖かさ、あるいはかすかな香りを含んだ風は
いろいろな過去をふっと思い出させてくれます。
かざぴー
2008/03/12 18:37
風たちぬ、いざ生きめやも
風というと、すぐ思い出すのは
あまりにも有名なこの言葉ですね。
風は意思を表すと同時に、不安を表して
その時代の不安、彼の持つ健康への不安
それに打ち勝とうとする彼の意志とその裏にある、打ち消しがたい否定的感情、そんな思いで読んだ若いころを思い出しました。
信州のイメージはそのころノ、サナトリーム、結核の療養所という言葉で、わたしのなかでできあがっていきました。
takasi
URL
2008/03/12 23:30
堀辰雄さんの作品からは、死を意識させられます。
『美しい村』や『風立ちぬ』では、穏やかな絶望感を受けます。
一言で言えば『あきらめ』でしょうか。

そういえば昔は病院なんかで、ストーブの上にやかんを置いていたのを思い出しました。

コメントが『風』とかけ離れてしまいました。
ごめんなさい。
pale moon
2008/03/13 01:19
 風は「予兆であり、何かを運ぶもの」とありますが、まさしく私にとって風は使者でしょうか。季節の使者、抱えている感情を揺さぶる使者、思い出を蘇らせる使者…。
でも、aostaさんには「歌うもの」でもあるのですね。今度、私も耳と心をかたむけてみます。
alex
2008/03/13 21:12
春を告げる風が、残り雪を載せた高みの梢をそっと渡っていくような・・・
青い空と白い雲、「雲が流れ 雲が切れる かがやいてとほい樹に風が移る」とっても素敵な写真でした。
堀辰雄の「風」は、ワルプルギスの夜における魔女の饗宴で奏される、ヴァイオリンのコル・レー二ョの、それこそ骨が不気味に軋る音が聞こえてきそうな戦慄を覚える、荒涼たる風だったに違いありません。
病を抱えた作家の心は真冬のように凍え、ひたすら寂寥の道をとぼとぼと歩まざるを得なかったでしょうか。こちらの胸もつい痛哭してしまいます。

クリスティナ・ロセッティの方の「風の詩」は、かって吉田秀和さんがこの詩を取り上げられて、チェーホフの短編から、橇乗りする若い男女の初々しい初恋の話を例にとって、ウィットを交え、「風と音楽」の考察を書いておられたのを読んだことがあります。モツアルトのディヴェルトメントK278を推奨され、そよ風の快さがこの曲にあるといっておられましたね。
題して「風の航跡」というエセーです。

sonnet
2008/03/14 01:24
詩人に吹く風は冷たくきびしいですね。襟をたてても忍び込んでくる風の冷たさ。
風は四季それそれいろいろな匂いを運んできてくれます。雪や雨、ぬれた土、動物たちの匂い、乾いた薪の煙、どこか遠くで吸っている煙草の匂い。
ときどき遠く縄文の人たちはどんな風を見ていたのかとおもいます。
森の生活
2008/03/15 08:19
モーツアルトの曲K287とすべきところ、うっかりK278とまちがえてキーを打ってしまいました。訂正まで!
sonnet
2008/03/15 21:21
◇かざぴーさん

お返事すっかり遅くなってしまいごめんなさい。今月は、子供の就職やら引越しやらで東京へ言ったり来たり。その間を縫って旅行もあったりと大忙しでした。
「私ではなく、風が・・・」印象的なタイトルだったので私も良くおぼえていますが、D・Hロレンス夫人のご本だったのですか。
タイトルだけ記憶していて、本そのものを読んだ憶えはありません。
調べて見ましたら、ロレンスの伝記なのですね。

今日も原村は雪が吹雪いています。
風は一定方向からではなく、雪を翻弄するかのごとく右から左から吹きつけています。踊るような雪を見ていると、私の心にも何かのエネルギーがざわめくような気がしてきます。
aosta
2008/03/21 07:37
◇takasiさん
 コメント、ありがとうございます。

>信州のイメージはそのころノ、サナトリーム、結核の療養所という言葉で、わたしのなかでできあがっていきました。

そうですね。堀辰雄、尾崎喜八を筆頭とする文学者や竹久夢路ら、多くの文化人たちが肺を病んで療養生活を送っていたわけですね。
会社勤めをしていたころ、正木不如丘の息子さんと職場が同じでした。
当時の結核病棟は老朽化が進んで、一時取り壊しの話も出ていたようですが、すったもんだの結果保存が決定されました。
新しく出来た富士見高原病院の裏手に、木造の建物が隠れるようにひっそり建っています。かつてはベランダから遥か遠くまで望めたであろう八ヶ岳の景色は新病院に遮られて、もはや見ることができません。
aosta
2008/03/21 07:49
◇pale moonさん

私も堀辰雄や立原道造の文章を読むときpale moonさんと同じように、穏やかな絶望というか諦念を感じます。若く研ぎ澄まされた感性だけが察知する蒼く晴れ渡った空のような絶望でしょうか。

>ストーブの上にやかんを置いていた・・・

ありましたね!そんな光景。
私の記憶の中では、やかんというよりお鍋。それもアルミの(笑)。
しゅんしゅん湯気を立ててるお鍋には、びん牛乳が入っていたような。
牛乳のお燗ですね(笑)。
aosta
2008/03/21 07:57
◇alexさん
 おはようございます。

>まさしく私にとって風は使者でしょうか。

風は使者、素敵なイメージですね。
なんと言うこともなく羽のついたサンダルを連想いたしました。
風に向かうとき、風に煽られるとき、私の中の風も一緒にざわめきます。
いろんな感情が風とないまぜになって、苦しいような切ないような、切羽詰った感覚に襲われて戸惑うことも・・・
それでも風は心優しい友。そっと慰めの一言を囁いて吹き過ぎます。
宥めるように歌ってくれます。

aosta
2008/03/21 08:05
◇sonnetさん

写真、お褒め戴いて嬉しいです。ありがとうございます。
この詩にはあまりぴったりではないかとも思いましたが、あの空と雲の感じがとても気に入っていましたのでであえて(笑)。

堀辰雄の心に吹き付けている風は、まさに真冬の風ですね。
心をざらつかせ、ぬくもりや希望を憔悴させていく乾ききった風。
どこからともなくトーテンタンツの骨の軋みが聞こえてくるような風です。

同じ風でも、ロセッティの風はちがいますね。
モーツアルトのそよ風の心地よさ・・・
吉田秀和さんには、シューマンの「はじめての緑」についても、素敵な考察がありましたっけ。
ぜんぜん話は繋がらないのですが、森有正さんの妹、関谷綾子さんの著作に「風の翼」というご本がありました。
このタイトルのイメージも大好きです。


aosta
2008/03/21 08:40
◇森の生活さん

風は本当にいろんな匂いを運んできますね。
雨にも、光にも匂いがあるのだと言うことを風は教えてくれます。
自然の匂い、また生活の匂い。
今日はまたもや冷たい風とともに雪が吹雪いていますが、乾ききった風には残念ながらあまり匂いが感じられませんね。
水分を含んで重くなった 春の雪を待ちましょう。かすかに埃っぽい匂い、目覚めを待つ土の匂い、何かが躍動を始める前の息を凝らしている匂いを風が運んでくる日もそう遠くはありません。
aosta
2008/03/21 08:46
◇sonnetさん

>訂正まで!

ご丁寧にありがとうございました。
K番号だけでは最初どの曲かわかりませんでしたが、K287、確かに風が、それも光にみちた初夏の風が吹いてきました。
aosta
2008/03/21 08:49
>皮膚の下にある骨のヴァイオリン・・・

なるほど。そう言えば、肺の周りにある骨って、ヴァイオリンみたいですね。
「風」もヴァイオリンを鳴らすでしょうが、自分の呼吸もそのヴァイオリンを鳴らすでしょうしね。
「堀 辰雄」さんて、確か、肺病だったのでは?これを書いている今、ネットで調べていませんけど、確か、そうだったと記憶しています。
この詩は、自分の病から死への至りの予兆を書いているのでは?と思います。
さりげない話題の中にさり気ない比喩、しかも、派手でない比喩があるとしたら、やっぱり、凄いですよね。
「詩」は飾り立てるだけじゃダメだと僕は思いますからね。
「薔薇は悪だ」とかの直喩の詩とか、「叔母の死。それが肉親の死のように思えるけど何故だろう?」という子供のような詩も大事だと思うのです。
風の笑顔とか、泣き顔とか、怒り顔とかも見れても楽しいかもしれませんね。
では。
坂本誠
2008/12/26 18:46
◇坂本さん

コメントありがとうございます。
堀辰雄だけでなく多くの文化人が結核療養のため滞在していた富士見のサナトリウムが自宅近くにあります。
八ヶ岳山麓は田舎ですが、なぜか文化的な香気を感じるのは残していることも影響しているかもしれませんね。
「詩」の表現」比喩は難しいですね。
想像力が大きく羽ばたくためには、あまりありきたりの言葉当たり前の言い方では力不足かもしれません。
同時に、使い古された言葉や言い方に新しい命を与えるのも詩の力ですね。
そんな意味でも「皮膚の下にある骨のヴァイオリン・・・」という感覚はすごいな、と思います。

aosta
2008/12/27 07:19

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