消えがてのうた

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zoom RSS 『水仙月によせて』 / 森のおうち お話の会

<<   作成日時 : 2008/03/22 23:06   >>

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久しく連絡を取っていなかった友人から手紙が届いた。
まつもと市民芸術館で行われる朗読会のお知らせだった。

3月に入ってから何かと気ぜわしく落ち着かない毎日に、なんとなく心が萎えていた。
プログラムはと見れば、私の好きな小川未明、そして宮澤賢治。
気持ちが動いた。
久しぶりに彼女の笑顔を見たかった。
エネルギーをもらえるような気がした。


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1時半開演、という時間を見計らって出かけたつもりが、すでに満席状態。
どうにか席を確保して開演を待つ間もなく、照明を落とした舞台の袖から、何かが舞うような足取りで現れた。
青紫色のフラワープリントの裾を軽やかに踊らせ、花が咲くような笑顔とよくはずむ声がプロローグを告げる。
もうすでに、何か素敵なことが起こりそうな予感!


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みずみずしい言葉たちが、シャワーのように降り注いでくる。
言葉と声が一つになる幸せな瞬間。
言葉の力と声の力が、空間で薫るように満ちている。


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友人が朗読したのは、宮澤賢治の「水仙月の四日」。
伊勢英子さんの魅力的な絵を背景にして、彼女の声は柔らかく、また時に張り詰めたように良く響いてくる。
けなげな雪童子が、破壊的でありながらどこか魅力的な雪婆んごが、生き生きと動き回り、笑い、叫ぶ。
そして賢治のあの鮮烈なまでに美しい言葉たちが、生き生きとした命を与えられて、私たちの心の中に弾みながら落ちてくる。
冬空で金属の結晶のように光っている星々、蒼く凍み渡る雪、凍てつく風。
凍りつくような寒さと美しさ、ガラスが響き合うような雪童子の笑い声。
小さなステージの上で賢治の世界が、きらきらと光りながら、果てしなく大きく広がっていくような素晴らしい舞台だった。

圧巻はと言えば、最後の語り劇「鹿おどりのはじまり」。
これはもう、素晴らしい完成度!
まず最初に登場したナレーター役「森のおうち」館長さんの語りは、至極自然体でありながらメリハリがあって、ドラマティック。
声に、指先の動きに、目線に、豊かな表情がある。
巧みな間の取り方がなんとも素晴らしい。
まるで大きく開け放たれた窓のような清々しく自由な朗読。

嘉十役の方は、語り口もさることながら力みのない演技。
びっこを引く足の運びや、手の仕草はもう完全に嘉十その人のようだ。
そして6頭の個性豊かな鹿たち。
のどかで純朴で小心者で、でも好奇心は強い鹿たちにはなんだか愛おしささえおぼえてしまう(笑)。
丸く輪になって踊る鹿たち。
何回となく頭を上下させて、太陽と、はんの木を、拝む鹿たち。
そのすべての仕草はなんだか賢治の祈りのようで、目元と心が熱くなる。

白く輝くすすきの穂を澪のように光らせながら吹き過ぎる風。
不思議に凝縮した時間の中で一瞬、自分が人なのか鹿なのかわからなくなる嘉十の至福の時。
かりそめにも、生き物が、お互いの命の境界を越える幻のような幸福をこの舞台で見たような気がした。

今日の舞台を指導演出なさったのは、昨年末急逝された俳優の草薙幸二郎さん。
この「森のおうちお話の会」を9年間指導なさったと聞く。
思えば、3年ほど昔にもなるだろうか。
短くはあったが先生との不思議なご縁があった。
「原村でも何か僕たちの芝居をやりたいですね。」と熱く語る草薙先生と、ひぐらしの声が降るように落ちてくる林の中を語り合いながら歩いた、夏の日の午後のことを忘れない。



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コメント(14件)

内 容 ニックネーム/日時
語りだけで聞く人の想像力を刺激して、うつくしい世界をひろげる・・・言葉の力ですね。日本語がやせ衰えているいま、こういう仕事が大事なのだと思います。
森の生活
2008/03/23 13:57
読ませて頂いただけでも迫力と感動が伝わってくるようです。
見るという事に頼りがちで、聞くという事がおろそかになってるな〜って自分や人を見てて思う事があります。
聞くという事が出来ない人はやはり想像力も働きにくいんじゃないかと。
見ただけでは分からない深い心のひだは言葉を借りないと分かりにくい部分もあるから。
目や耳だけじゃなく、五感で感じ取れる豊かな感性があればもっといいんだけど。
朗読会、出掛けられて良かったですね。
ちょびママ
2008/03/24 01:07
◇森の生活さん

おはようございます。
「日本語がやせ衰えている・・・」その通りのことを私も感じています。
日本語の美しさ、表現の多様さは他の言語に比べるべくもありません。
日本人の感性は言葉によって育てられえた部分も大きいのではないでしょうか。そしてまた、そうした生き生きと力に満ちた言葉を育ててきたのも日本人だったはず。言葉を育てること、言葉に育てられられることは自分自身であること、また日本人であることと必然的に結びついています。
もう一度言葉を建て直すことの大切さを感じると同時に、今ほどそのことが必要とされている時代はない、とも思うのです。

朗読のはなしから、随分大上段に構えたお返事になってしまいました(笑)
こんなにも豊かで、ちからにみちた言葉
aosta
2008/03/25 07:53
◇ちょびママさん

>見るという事に頼りがちで、聞くという事がおろそかになってるな〜って

そうそう!わたしも同じです。
見ることのほうが断然インパクト強いですもの。
でも、見たこと、ってすぐ忘れちゃうことが多いんですよね。
一瞬で見ることが出来て、それだけで了解したと誤解してしまう。それに比べて聴くことは意識して、また集中して聴いたことは、その場でにわかに理解できなくても心に深く刻まれて何度も反芻され成熟していく。
(もちろん、見るにしても聴くにしても、何を見るのか、何を聞くのか、が大切なのですが。)
五感で感じ取れる豊かな感性、まさにそのとおりだと思います。
ちょびママさんのお写真、文章はいつも素敵な五感を感じます。

aosta
2008/03/25 08:26
紀野一義という第1回仏教伝道賞を受けたかたで、仏教者の集い真如会主幹の仏との出会い(現代に生きる仏教2)。この方の詩の解説によって心につたわってきた部分です。ビンビンと伝わってきて賢治の苦しさに一緒におい詰めらてしまう。

宮沢賢治が妹のトシ子が25歳で亡くなるとき、妹が死ぬのも生きるのも同じだよという顔をして見守っていてくれたら安心して死ねるかもしれない。賢治は心が二つ分裂して修羅のごときであった。

「無声慟哭」でこんなにみんなにみまられながら おまえはまだここでくるしまなければならないか・・・・云々。

「永訣の朝」の詩では
けふのうちに
とほくへいってしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふっておもてはへんいあかるいのだ
  (あめゆじゅとてちてけんじゃ)
云々

こんどは
いもうとが「兄さんがたしを救ってくれないのなら、わたしはわたし一人で行く」といわれ賢治は追いつめられた。



イエローポスト
2008/03/25 19:58
前文のつづきです。

いもおうとが陶椀に雪をくださいと助け舟を出す。

おまへがたべるこのふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが兜卒の天の食(じき)に変わって
やがておもえとみんなと
聖(きよ)い資糧をもたらすことを

わたしのすべてのさいはひをかけてねがう


これによって「青森挽歌」「オホーツク挽歌」「噴火湾」という長大な挽歌を次々に書いて柿本人麿以来の純粋な悲しみにあふれた挽歌を作った人は日本にはいないと」解説している。
私はこの解説なくして賢治の心は少しも解せなかったとおもいます。


イエローポスト
2008/03/25 20:05
私もこんな朗読会、是非お聴きしたいです。言葉が美しい文章は、朗読する事によって、より美しさが際立つ事を、いつも感じています。でも、そこまでの技術がなかなかなのですが。素晴らしかった様子が、目に浮かぶようです。
沙羅
2008/03/26 10:49
今は亡き草薙幸次郎さんが演出指導をなさった朗読会にお出でになったのですね。お友達の素晴らしい朗読の様子などを手に取るように活写されたaostaさんの文章展開になんだか自分もその場に居合わせたような気がして参りました。「水仙月の四日」、「鹿踊りのはじまり」にしても、イーハトヴお馴染みの住人たち、雪童子、カルメリ、山野の自然など、現代ではもう「失われた世界」となった懐かしくも悲しい郷愁の故郷とも言うべき賢治の童話、井上やすしの「吉里吉里国」ならずとも国語にしたいような、人間にも動物にも通じるような言語表言を目の前に彷彿として見事に甦えらせた朗読会有志の皆さん方に、舞台こそ見ていませんがオマージュを捧げたいと思います。そしてあらためて宮沢賢治の作品を再読したいと思うのです。
国語力の貧しさは国家の衰退を招きかねません。でも今こうした地道な朗読会の活動をなさる方々が多くいらっしゃるようですので心強い限りです。
sonnet
2008/03/28 11:34
コメント欄は確認画面がなく、ミスがそのまま出るので「赤面」です。言語表現のつもりが言語表言と出ていますので訂正です。自動校正機能付きPCが欲しい!!です。
sonnet
2008/03/28 11:58
今日はミスの連発です。ひさしをやすしとほんとにどうなちゃってるの!
風邪高熱のためお脳の配線が故障したようです(ほんとかな?)
correct
2008/03/28 18:12
◇イエローポストさん
 コメントありがとうございます。

宮澤賢治の世界はキラキラと東北の風と空気が煌めくようなファンタジーばかりでなく、宗教的な深い内省に満ちた苛むような精神から昇華へと導かれ行く作品などいろいろな顔を持っていますね。
希望と理想に溢れたみずみずしい初期作品では、自然や生き物を通して語られる生命への憧憬や畏怖を感じます。また、病や家族との葛藤、そして天命と信じた仕事の挫折を経て精神の最深部へと降りていった後期の作品には、彼の純粋さ素朴さの中ににミクロからマクロへと広がっていく精神の宇宙を感じます。
挽歌と言うならば、それはすでに個人のレベルを大きく踏み越えた命が息づく世界そのものへの挽歌なのかもしれませんね。
aosta
2008/03/31 08:29
◇沙羅さん

ご無沙汰しております。
今朝は真っ白な雪です。夕べからの雪はまだしんしんと降り積もっています。雪童子は何か忘れ物でもしたのでしょうか。待ちかねた春の日差しに覗き始めた緑色の芽を無情の雪が冷たく隠してしまいました。
今回の朗読会で今までの私の朗読の概念は覆されました。
読む、という行為が全身を使っての表現であるばかりでなく、読む人の人生をも投入して語られる物だということに気がつきました。
朗読を通して自分自身を再構築していくエネルギーのようなものに圧倒され、私も弟子入りしてもう一度「朗読」をやり直したくなりました。「弟子入り」はともかく、ちょっと本気です(笑)。
aosta
2008/03/31 10:19
◇sonnetさん

賢治の作品の中で使われている東北弁には魔法のような力がありますね。
正しいイントネーションは知るべくもありませんが、濁音の持つ素朴な暖かさ、懐かしさ、独特のテンポ感は賢治ならでは!の物があります。
一瞬の風のざわめきと共に、突然鹿たちの言葉を理解する嘉十。それはほんの一瞬ではあっても世界が一つになったような開放の時ですね。
でもそこから一歩踏み出した瞬間には失われてしまう世界でもある・・・
共生を願いながら、その実現を阻む物の存在があります。

草薙さんの演出は、決して大げさすぎず、「賢治の魔法」を最大限魅力的に見せてくださった素晴らしい物でした。
最後にに松本までおいでくださった折、以降の演出は○○さんに、と名指しで指名されて東京に帰られたとのこと。
まさかその四日後に逝かれるとはご自分でも決して思ってはいらっしゃらなかったでしょうに、ご自分のあと引き継ぐ方を準備していらしたというお話を伺って、不思議な感動を覚えました。
aosta
2008/03/31 10:19
◇sonnetさん

入力ミスは私のほうが一枚上手ですよ(笑)!
間違いはしょっちゅう。性格が現れています。

先日上京した折は桜も満開で暖かな春の日でしたが、その後、お天気は下り坂ですね。こちらは夕べから、またもやの雪です。近づく春の気配に冬の眠りから目覚めた木々はすでに雪解けの水を吸い上げ始めています。この時期、水分を含んだ雪が降ると、目覚めたばかりの木はその重みに耐えかねて枝が折れてしまいます。

その後お風邪はいかがですか?
熱は下がりましたでしょうか?お大事になさってください。
aosta
2008/03/31 10:20

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