消えがてのうた

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zoom RSS 『画廊』 言葉のものがたり 

<<   作成日時 : 2008/04/16 23:00   >>

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古びた画材屋の二階へと続く急な階段を登っていくと,小さな画廊があった。
くすんだ壁に点と線とで描かれたモノクロの作品たちが、水族館の水槽の中で明かりに照らされたまま眠る魚のように声もなく静かに飾られていた。

眠っている魚たちが目を醒まさないように、歩くたび、かすかに軋む床を宥めながら、わたしは画廊を一巡した。
凍りついて動きを止められてしまったようなそれらの絵は、かすかに泡立つ生き物の気配を漂わせながら壁面に固定されている。
小さく閉ざされた空間で、しばらくの間わたしはその絵たちと一緒に呼吸し、彼らのつぶやくような声に耳を傾けた。
声はわたしのなかに満ちて、わたしの心を優しく包みこんだ。


画像

バン・ジョーンズ 「天使」 1878 Sudley Art Gallery, Liverpool, England



気がついたとき、陽はもうとうに傾いて、ガラス窓の外の街路樹には風が立っていた。
心残りと共に踵をかえしたとき、突然立ち上がる一人の男性のシルエットが視線に入った。
部屋の入り口近く、受付の小さな机が用意されていることに気づいてはいたが、翳ってゆく画廊の片隅で、黙ったまま座っていたその男性に全く気がついていなかったわたしは、不意を突かれて立ち止まった。

男はわたしを見ている。
口許がわずかに動いている。

何を言っているのかしら。
不規則な音符のような意味を成さない声が、逡巡しながら空中を漂い、やっと意味を持った言葉になって私の耳が了解するまでには、しばらくの時間が必要だった。
彼は吃音なのだった。
生真面目で優しそうな目には躊躇い(ためらい)と恥らう微笑があった。

Kに逢ったのはこのときがはじめてだった。
絵が好きで、自分も描くけれど、今は専らこんな仕事、と知り合ってしばらくして、彼は言った。
「こんな仕事」とは、画廊の受付をしたり、近所の子供たちに絵を教えたり、といったほとんど実入りのない仕事ばかりだった。
繊細で長い指は、声と同じように、いつも震えながらペンを持っていた。
取ってつけたようにアンバランスな、長すぎる手足のぎくしゃくした動きが連動でもしてるかのように、その表情や言葉にも何か不安定な感じを与えていた。
身体に合わない不恰好な上着を着ているようなぎこちない身振りで、空中を漂いながらわたしに到達する言葉たち。
その言葉たちは不思議な時間差の後、不協和音のように響いてくる。
私はその落差が好きだった。
Kのことばが、発せられてから意味を成す言葉となってわたしの場所に届くまでの時間は、不透明で柔らかなこの上なく優しい束の間の時間であり、私にはその束の間がとても愛しい大切なひとときに思われた。

「生まれたときから虚弱で、学校も休んでばかりだった。話が出来ないから学校も嫌いだった。」という彼は高校へは行かず、母親の勧めで剥製を作る工房に入ったのだという。
「薬のにおいがね、嫌だった。死んだ動物を薬で洗ったり、目玉の変わりにガラス玉いれたり・・・
黙っていても誰も何にも言わないから気は楽だったけど、こんなんこと一生やっていられないって思ったから。」
Kは誰にも断らず事をやめた。
「それからは日がな一日、公園のベンチで本を読んだりぼんやりと道行く人を眺めてすごした。
あるとき、時間をもてあまして通りすがりの画廊を覗き込んだのさ。」

いつしか画廊は彼の場所になった。
そこにいるとき、Kは幸せだった。
必要以上に話さなければならない義務はなかったし、小さな画廊に絵を見に入る客はまれだった。
彼にに話しかけるのではなく、彼が話し出すのをわたしはじっと待っている。
そのことがわたしに心地よいのだと彼が了解したときから、二人の時間は何か特別の意味を与えられたのかもしれない。

言葉は束の間、部屋の中を漂うと、自分の好きな場所を見つけてそこで止まった。
止まった言葉を、彼はか弱い蝶を扱う手つきで展翅(てんし)した。
画廊の中は彼が展翅した言葉で一杯になった。

Kの吃音は以前にも増して聞き取りにくくなり、ことばと言葉の感覚は長くなった。


けれども声はわたしのなかに満ちて、わたしの心を優しく包みこむ。
目を閉じると、蝶たちが羽ばたく音がする。



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コメント(14件)

内 容 ニックネーム/日時
 ヘレンケラーの自叙伝を読んだばかりでした。聴覚や視覚を失ったケラーは有名な電話発明のベル先生の紹介で出会ったサリバン先生が掌にいろんな字をこれでもかこれでもかと神様に祈るような気持ちを込めて、半ば駄目なのかなと思いつつ、書いてくれた。これが何千という単語に意味があるとも知らずの過ごした。映画よりも彼女の気持ちがビンビン伝わってきます。いろはの字でもなく、言葉でもなく、視覚でもなく、実物の水が手先を潤して、とく有名なシーンである失明前に経験したWATERが思いがけず脳裏に浮かんだ(以前この水の経験がなかったとしたら理解はもっと時間を必要としたと思われる)。このことによって先生の掌に書く単語には意味があることがわかりった。
彼女は弾むような喜びで震えるようなな明るい気持ちになった。
aostaさんの描く青年の吃音やキャシャな指先にも言い表したい気持ちがきっといっぱい詰まっていたのでしょうね。
イエローポスト
2008/04/17 01:11
氾濫する言葉の洪水の中、むなしく消える言葉の中で、ダイヤモンドのように輝く言葉に出会うと、生きていてよかったと思います。
森の生活
2008/04/17 09:06
 言葉は、発音の明瞭度でも流暢さでもなく、やはり精神の有機的な吐露ではないでしょうか。伝達者と受容者にはその背景こそが大事な内容、そう思います。
alex
2008/04/17 20:58
◇イエローポストさん

おはようございます。
コメントありがとうございました。
言葉を巡るヘレン・ケラーとサリバン先生とのエピソード、昔見た映画の中でも特に印象に残る場面でした。
言葉が実体と結びついて初めて言葉となった感動は、言葉を持たなかった当時のヘレン・ケラーにとって、世界が変わるほど大きな出来事だったに違いありません。いえ、言葉には意味があることを知らされたこのとき、初めて真の「人間」として生まれたともいえるかもしれませんね。

言葉の意味、言葉の重さは、言葉の多さ、流麗さとは異なると思います。
確かな言葉、真実の言葉で語ることの難しさを痛感するこのごろです。


aosta
2008/04/18 09:07
◇森の生活さん

実はこの「おはなし」は半分以上がフィクションです。
Kにはモデルがいます。
絵というものの見方、考え方を教えてくれた彼は、かなり重症の吃音障害がありました。考え抜かれて発声される言葉でさえも確かに伝わるとは限りませんでした。その中でやり取りした言葉は、ごくわずかです。
けれどもその言葉は未だにその輝きを失っていません。
aosta
2008/04/18 09:32
◇alexさん

>伝達者と受容者にはその背景こそが大事な内容、そう思います。

その通りだと思います。
悲しいことには、現在私たちが置かれている言葉の現状は、多くの場合この背景が軽んじられています。いやむしろ最初から背景など必要としない一方通行の言葉が大手を振って歩いています。
待ったなしの機関銃のような言葉の羅列。
待つ、と言うことの意味も考えさせられるところですね。
aosta
2008/04/18 09:51
去年の秋、東京ヘレンケラー協会の講座でガイドヘルパーを取得しました。
講座に先立って日本に来日した折の映像を拝見させていただいたのですが、子どもたちがプレゼントしたのは歌でした。ヘレンはまるで聞こえているように、手で、やがて体でリズムを取り始めた。
来日当時のモノクロの映像は、いつしか色彩に満たされました。

>待ったなしの機関銃のような言葉の羅列

私にはとても苦手なシチュエーションです(^^ゞ

acqua
2008/04/18 21:14
aostaさんの文章は、なんだか心地いいです。

『画廊』では、大切な時間で大切な空間ですね。
自分には、ないかな〜???

この絵をみていると、子供のころの気持ちに戻るような気がします。
ちょっと羨ましいです。


pale moon
2008/04/19 21:05
「人の楽しみに結婚がある。考えてみてごらん離婚もある」というような機智に富んだ諺があるが、昔の人々の間で、今日の人々と同じように語られていることを知ると、数千年前の時代の差も一挙にちじまってしまうように思われた。言葉は一瞬にして飛び込んでくるという意味で、一種のタイムマシーンだともいえるのではなかろうか。
メソポタミアの人々の詩には人間について描写しうる最も普遍的な姿を要約している。
退屈な日常生活を見つめ、そこから反転して自分の心に見入りつつ歌われた、さわやかな喜び、悲しみ、怒り、絶望、についての表現だから時代を超えて心に響くものとなった。
きょう生まれたものが今日死ぬ
束の間のうちに人間は闇に投げ込まれ、突然押しつぶされてしまう。
喜びに歌をくちずさむときはあっても
たちまち嘆き悲しむことになる
朝と夜の間に人々の気分は変わる
ひもじいときには亡骸のようになり
満腹になるとその神とも張り合い
ものごとが順調にいっているときには天にも昇るなどとしゃべる癖に
困った時は地獄に落ちそうだとわめく

ことばの力:大岡信:花神社より
イエローポスト
2008/04/26 09:27
◇acquaさん

同じところをぐるぐるしているうちに5月になってしまいました。
やっと堂々巡りから抜け出して、遅ればせながらのお返事です。

昨日TVで目の不自由な子供たちが撮った写真展が話題になっていました。
見えない目で写真を撮る、私の常識を超えた行為でした。
私たちは目でしか見ることを知りません。
「風で、匂いで、温度で感じながら撮る」と言った少年は自分の写真を他者に見てもらうことで、「見る」という行為を追体験すると同時に共有しているのだと思いました。
見ることで「見失う物」もあるのだと最近思うのです。
見えることが全てではないとも、見ている「つもり」の怖さも感じるようになったこのごろです。

aosta
2008/05/05 11:06
◇pale moon さん

「心地よい文章」といっていただきまして、ありがとうございます。
多分に自己満足的な文章なので、ちょっぴり恥ずかしいかな・・・(笑)

画廊とか図書館、博物館といった場所が好きです。
時間そのものが眠っているような場所。
動物園より水族館の方が好きなのも、音がないからかもしれません。

天使の絵に目を留めてくださいましてありがとうございます。
バン・ジョーンズはいくつも天使を描いていますが、どれも優雅なノスタルジーを感じさせる絵です。穏やかな赤と青、緩やかな曲線。どこからか優しい調べが聞こえてきそうですね。
aosta
2008/05/05 11:17
◇イエローポストさん
 お返事が前後いたしまして申し訳ありませんでした。

>「人の楽しみに結婚がある。考えてみてごらん離婚もある」

なるほどそのとおり、思わず膝を打ちたくなるような一言ですね(笑)。
でもよかった!!結婚、離婚、そしてまた結婚、もあり、ということですよね?
生活の中の喜怒哀楽、夫婦の関係において、人の歴史は何千年たってもかわらないということはすでに歴然とした事実のようですね。
だからこそ、先人の残した言葉が今も生きて私たちの心を打つのでしょう。

aosta
2008/05/08 08:32
消えた言葉は追ふのはよそう 消えた言葉は私のものだ
どこに どこに やさしい言葉

消えた言葉は空にゐる 一日雲とうたってゐるのは
どこに どこに 私の言葉

消えた言葉は、何匹もの蝶に運ばれて天使のもとに届けられたのです。
細かくなった言葉の破片は天使のもとで美しい音楽となって再び地上に帰ってくる。それはあたかもモーツアルトのアダージョとロンドのように空から降って来るのです。


sonnet
2008/05/08 21:11
◇sonnetさん
 おはようございます。

>消えた言葉は追ふのはよそう・・・
はかなく優しげでまるで立原の詩のようですが、sonnetさんの文章ですよね?
素敵なコメントをいただきまして、とても嬉しいです。
天上で音楽となった言葉が再び空から降り注いでくる、このイメージもなんとも美しい!!
私のつたないブログからこんなに素敵な言葉を紡ぎだしてくださるsonnetさんに感謝です。私がここで書きたかったのはまさにこのイメージ、消えてゆく言葉、ひそやかに凍りついたまま結晶化している言葉にならなかった言葉のイメージであったのかもしれません。
消えた言葉は失われたのではなく、今も確かに私の中にあるのです。
むしろいっそう輝きを増して。

aosta
2008/05/15 08:45

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