消えがてのうた

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zoom RSS モーツァルト 『魔笛』 プラハ室内歌劇場

<<   作成日時 : 2008/09/13 08:41   >>

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言わずと知れたモーツァルトの傑作オペラ「魔笛」。
昨日12日、岡谷市のカノラ・ホールでの上演は、プラハ室内歌劇場による日本公演の初日でした。



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わくわくする序曲も終わり、舞台の幕が上がると同時に、大蛇に追われた王子タミーノが登場します。
(大蛇が姿を見せることのなかった今回の演出ではこのあたりの経緯がはっきりわかりませんが・・・)
タミーノは恐怖のあまり気を失なってしまいます。
たまたまその場に居合わせ、蛇を撃退して王子を助けた夜の女王の3人の侍女たちは、ことの顛末を女王に報告すべく去っていきます。
続いて舞台袖から現れたのは、お調子者の鳥刺しパパゲーノ。
おなじみ「俺は鳥刺し」を陽気で愉快に歌い上げます。
ワインと女の子が大好きなパパゲーノ、天真爛漫で憎めないキャラクターはそのままモーツアルト(笑)。
この歌一曲で、パパゲーノは観客の心をしっかり捕まえてしまいます。

「夜の女王」や3人の少年たち、露払いとも言うべき「弁者」に続いて登場するザラストロ。
敵味方入り乱れて、いったいどちらが正しくて悪者はだれなのか、誰が味方で誰が敵なのか。
観客が納得するような説明などないまま、話はどんどん先に行ってしまいます(汗)。
ならばこの展開を楽しまなければ・・・

パパゲーノの歌と並んで有名なのは、ご存知「夜の女王」のレチタティーヴォとアリア。
娘をさらわれた母親の、愛情と哀しみに満ちた劇的なレチタティーヴォとそれに続くアリアのドラマティックなコントラスト。
そして、ザラストロを殺すよう娘に命じるときのアリア、「我が怒りの火は」。
あんな声がいったいどこから出るのかしら、と思うほどのコロラトゥーラがここを先途とばかりに響き渡ります。
まるで声帯がしなやかな金属でできているかと思うような、光沢のある最高音です。これほどまでに暗く輝かしい激情的なコロラトゥーラは、数あるオペラ作品の中でもこの曲をおいてほかにはないのではないかしら。


一方、まるでバスかと思われるほど深く低く響き渡るバリトンのザラストロのアリア。
はたまたパミーナへの横恋慕に、主人であるザラストロへの忠誠を捨ててまで燃え上がる、モノスタトスの情念がざわめくようなアリア。

どの歌手もどの歌もみな素晴らしいのですが、好きなのは何故かみな、パパゲーノがらみ(笑)の歌が多いのです。
パパゲーノの歌はどれも表情豊かで滑稽。
ご機嫌で聴いているうち、いつの間にか感情移入してしまう不思議な魅力を持っています。

しゃべり過ぎた罰として、口に大きな鍵をかけられたパパゲーノと三人の侍女たち、タミーノによる五重唱。
タミーノの明るく甘く響き渡るテノールはなんとも魅力的ですが、それにも増して「フム、フム・・・」だけの歌詞のない歌を歌うパパゲーノの滑稽さ、軽妙さはさすがモーツァルト!
初めて鉢合わせしたパパゲーノとモノスタトスが、パミーナを巡るシリアスな場面にも関わらず、お互いを悪魔だ、化け物だと勘違いして大騒ぎとなる三重唱。
そして最高傑作!パパゲーノとパパゲーナの「パ、パ、パの二重唱」。
底抜けに愉快で明るくて、愛の喜びと人生の幸せを歌う歌。


高潔なタミーノと賢者ザラストロに反して、一見狂言回しのように見えるパパゲーノですが、物語が進むうちに彼こそが、このオペラの本当の主人公なのではと思うようになりました。
一方、鬱屈した恋の激情に駆られて寝返るモノスタトスの心情もまた、とても人間的で忘れがたい印象を残します。
数々の試練を乗り越えたタミーノとパミーナの真実の愛によって、太陽は闇を追い払い、世界は平安を取り戻すのだけれど、それだけだったら単なる御伽噺で終わってしまいます。
オペラ「魔笛」がもたらす不思議なカタルシスは、正も邪も同時に混在する「この世的な」混沌を肯定したところから始まるのかもしれません。


モーツァルトの最後のオペラ作品となったこの「魔笛」、ウィーンでの初演のわずか2ヵ月後に彼は世を去りました。
病苦と貧困、人間不信と死への恐怖の中にあって書き上げられたこのオペラの素晴らしさ。
そして「パ、パ、パの二重唱」に象徴される、明るさ、楽しさはいったいどこから来たのかしら。

それは本来モーツァルトの中にあったもの、彼の本質なのかもしれません。
相反するアンビバレントな状況、荒唐無稽なドラマ展開、愛と優しさに満ちた音楽。
モーツァルトという生身の人間の魅力が凝縮されたようなオペラ「魔笛」・・・


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今回の公演で印象的だったのは歌ばかりではありません。
シンプルで斬新な演出や衣装デザインもまた素晴らしいものでした。
色使いやそのフォルムの美しさ。
侍女や武士たちの、何か繭かカプセルのような着脱自在な(笑)衣装デザインは、秀逸の一言です。
脱ぎ捨てられた衣装はまるで魅力的な舞台上のオブジェ。
あたかも意志のある登場人物の一人のように不思議な存在感をもっていました。

ファンタジックで美しい音楽、エキゾティックな演出。愉快に笑いながらも、時々しみじみ・・・
まさにモーツァルトならではの「おもちゃ箱」、さまざまな趣向を凝らした魔笛ナイトでした。
観たのは2500円の三階席。
このオペラをこのお値段で???
もちろん、歌手の表情を見るならば、間近のS席がいいのでしょうが、そうすると目線はほとんど水平に。
舞台全体の奥行きはほとんど感じられません。
それに反して破格にお安い3階席からは、舞台のすべてを俯瞰することができますし、一階席では観ることができないオーケストラ・ピットの中まで見下ろすことができます。
そして何よりも音がバランスよく広がってきます。

というわけで、オペラグラス替わりの双眼鏡片手に、三階からの魔笛となった次第。
7時開演、2時間30分の公演をたっぷり堪能しての帰り道、「魔法の鈴」の音、グロッケンシュピールの響きにあわせて瞬く星空、月明かりが煌々と照り映える天空に、おもわず「夜の女王」の姿を探してみたaostaでした。





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ニューイヤー・コンサート / ウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団 
遅ればせながら、年が改まって始めてのブログです。 タイトルもそれに相応しく『ニューイヤーコンサート 2008』!! ...続きを見る
消えがてのうた
2008/09/13 15:58

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コメント(29件)

内 容 ニックネーム/日時
八が岳の麓、諏訪湖のほとりで「魔笛」これはいいですね。想像するだけでわくわくする雰囲気です。
すばらしい夜を満喫されましたね。

森の生活
2008/09/13 09:15
◇森の生活さん

コメントありがとうございます。
モーツァルトのオペラ、初めてでした。舞台の雰囲気、衣装とても素敵でした。三人の侍女たちが大きく膨らんだドレスをすっぽり脱いで、3人の少年に変わるところなど、意表をつく演出で3時間近い時間を長いと感じませんでした。
地元だけでなく遠方からお見えになったお客様も少なからずいらしたようです。ちょっぴりお洒落をして出かけたオペラ。本当に楽しいひと時でした。
aosta
2008/09/13 18:19
「魔笛」、私も大好きです。舞台で見たことは1回しかないのですが、CDは持っています。夜の女王の歌がとてもいいので、ついこっちが善人では?と肩入れしたくなったところに、ザラストロの低音でずーんとやられます。
2500円はすごーくお徳ですね!コンサート形式でもなかなかそのお値段はないかも。うらやましい〜。
うさみ
URL
2008/09/13 20:42
モーツァルトの人生みたいなものを、
テレビの特集や本で、見たり読んだりすると。
なんだか怖く思うのは自分だけでしょうか。
リアルタイムで、モーツァルトの音楽に触れるわけではないので
それらの作品から受ける感覚は、同じ時代の人とは違うのでしょうが・・・。
より魅力的な音楽を作るということしか、生きるすべがないと考えていたように感じます。
またデフォルメされた性格だけが、モーツァルトではないとも感じるのですが・・・。
pale moon
2008/09/13 23:42
◇うさみさん

「魔笛」、CDで聴いていたときとまったく違う印象でした。
当然と言えば当然なのでしょうが、オペラでは視覚から受けるインパクトが大きいですね。またどのように演出されるのかという楽しみもあります。去年はブタペスト国立歌劇場の「椿姫」を見に行きましたが、今回のほうが完成度は高かったように思います。

それにしても、2500円は破格でした!!
すべてのキャストが高いレヴェル。
オーケストラも迫力ある演奏でした。来週19日と20日には東京文化会館大ホールでのコンサートがあるようですが、演目は19日が「セビリアの理髪師」20日が「フィガロの結婚」ということです。「魔笛」は21日に同じく東京文化会館大ホールで。
東京だと2500円では無理でしょうが、もしチケットが手に入るようでしたらぜひ!!
aosta
2008/09/13 23:58
◇pale moon さん

コメントありがとうございます。
例えば小林秀雄の「モオツァルト」に代表される思索的なモーツァルト像、または映画「アマデウス」に見るモーツァルトの破綻的なイメージ。
あるときは神格化され、またあるときは悪魔的とも思える音楽への熱情に実を焼かれるモーツァルト・・・
怖いという感覚は何だかわかるような気がします。
彼にとっての真実は音楽に生きること、音楽こそが存在証明だった。それが幸せだったのか不幸だったのか、今も昔も誰にもわからないことなのでしょう。けれども彼の音楽にある崇高な精神性や深い哀しみはその深さにおいて遥かに既成のモーツァルト像を超えています。
彼が自分の人生と引き換えにして残した奇跡のような音楽です。
この素晴らしい音楽と対価であるために彼の苦しみはあったのではないかと思うほどに。

彼の中でいつも引き裂かれていたもの、それが彼の音楽を生み出したのであり、同時に私たちには理解できない「人間モーツァルト」なのではないでしょうか。
aosta
2008/09/15 08:10
この公演、私の県にもきましたが、残念ながら同じ県内でも東京より遠い場所でした。ぜひ、「魔笛」を生で観たいのですが。今回の東京公演も、忙しい時で無理でした。
aostaさんの記事で、どんなに素晴らしいオペラだったかが、よくわかります。パパゲーノが主人公ではと、お書きになってますが、この「魔笛」は、バリトンの歌手からの注文で作曲して、注文主がパパゲーノを歌ったと、どこかで読みました。私も最初にDVDで観た時に、パパゲーノが主人公ではと、思ったので。
それにしても¥2500は、破格のお値段ですね。これだけのオペラ、羨ましいです。
沙羅
2008/09/15 13:26
◇沙羅さん
 こんばんは♪

>残念ながら同じ県内でも東京より遠い場所でした。

長野県はご存知の通り南北に長いので、諏訪方面からですと、長野市はまさに「東京より遠い」感じです。実際の距離、というよりかなり感覚的なものではありますが・・・

王子タミーノは出番が多いですし、胸に迫る美しいアリアもたくさんあるのですが、なぜか影が薄いような気がします。パパゲーノはじめインパクトの強いキャラクターが目白押しだからでしょうか。
初演でのパパゲーノ役は脚本を書いたシカネーダが演じたようですね。
自身、俳優であり劇場支配人でもあったあったそうです。彼はバリトンだったのですか・・・

一見荒唐無稽などたばたに終わってしまったかもしれないこの脚本に命を吹き込んだのはやはりモーツァルトの”天才”があったからなのだと思います。

>¥2500は、破格のお値段

はい。もう一度みたいくらいです(笑)!!!
aosta
2008/09/15 23:05
aostaさん
昨日は久しぶりに時間があったので、オケの新シーズン最初のリハに行き、「薔薇の騎士」を聴いて来ました。ずっと昔、ヤマハホールでこのオペラ(カラヤン、シュワルツコップ)の映画を見たことを思い出したりして、25日の本番がとても楽しみなのですが、それはさて措き、その年の同じ時期にベルイマンの秀作「魔笛」を併せて見たことも、なにげなく回想して家に戻りました。そして10日振りに埃を払ってPCを開いてみましたら、あにはからんやaostaさんがモーツアルトゆかりのプラハ室内歌劇場公演をたったの2000円の安価(笑)でご覧になったと言う新しい記事が目に飛び込んで愉快を覚えました。話の辻褄が合わない、いやあれはフリーメーソンの伝承をイメージ化したものであるとか研究者には格好の材料になっているオペラの一つではありますが、ご覧の演奏はどのような筋運びだったのでしょうか?
ともあれ今はもう難しい理屈より、子供にも分る楽しいメルヘンとしてのモーツアルトの音楽が心に響いて来れば素人にはそれで十分かなと思っています。午後のひととき、ブリッテン指揮の「プラハ」を聴いてみたくなりました。
sonnet
2008/09/16 12:45
◇sonnetさん

こんばんは。
コメントありがとうございます。
思いがけないシンクロニティ、嬉しいです。

カラヤン、シュワルツコップの「薔薇の騎士」とは!
さぞかし見事で流麗な演奏だったのではないかと想像します。
映画でごらんになられた、とありますのは、オペラの舞台を映画化した、という意味ですよね。
ベルイマンの「魔笛」に見る、凛とした気高さはオペラとは別の意味で素晴らしかったと思います。オペラ以上に「夜の女王」とザラストロ、二組の恋人たちとそれに絡むモノスタトスの存在、等々、「愛」と「対立」の関係が明確に表現されていたように思いました。

この「魔笛」が実際にフリーメイソンの影響下に作曲されたか否か、私には良くわからないのですが、確かにいろんな解釈や研究が数多くなされているようですね。モーツァルトがフリーメーソンであったことは事実でしょうが、そのことにことさら縛られずにこのオペラを楽しみたいと思っていましたし、今回の公演もそうした見解からはかなり自由であったと思います。その分純粋にこの作品を楽しめた、と私も思っています。
aosta
2008/09/16 22:11
おやっ、たまたま見つけた「魔笛」の記事。とても素適な文章に惹きつけられてしまいました。
プラハ室内歌劇場良かったですよね!でも私が観たのは東京で。同じ天井桟敷でも7000円でしたよ〜(涙)次回は岡谷まで観に行くことにします。(笑) でも7000円でも楽しめましたから充分満足です。小生のつたない文章の記事もよろしければご覧下さい。

モーツァルトのオペラは「フィガロの結婚」と「ドン・ジョバンニ」もとても良いですよ。オペラはCD、DVDでも楽しめますが、実演の舞台に勝るものはありません。

ハルくん
URL
2008/10/09 00:15
◇ハルくんさん

ようこそおいでくださいました。
場所こそ違え、プラハ室内歌劇場による同じ「魔笛」を楽しんだお仲間のコメント、うれしく拝見いたしました♪
岡谷ではS席が確か7000円だったと思います。
地方でクラシックを聞く機会は、都会に比べてずいぶん少ないとは思いますが、シュライヤーの引退公演、それも日本ツァーの最後のステージが、今回と同じカノラでしたし、バレエではシビリも来ましたっけ。
思いがけない演奏会が、思いがけないお値段で楽しめるのも田舎だからでしょうか(笑)。

>オペラはCD、DVDでも楽しめますが、実演の舞台に勝るものはありません

100%、賛同いたします。
生の臨場感は、一回限りだからこそ。
見て、聴いて、全身で感じたいですね。

ハルくんさんのブログもゆっくりお邪魔させていただこうと思います。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
aosta
2008/10/09 23:30
こんばんは。
シュライヤーですねー。私は東京で最晩年のステージに接しました。
18番の「美しき水車小屋の娘」でした。最後まで惚れ惚れする声でした。彼は「魔笛」のタミーノが大得意ですが、いつもサヴァリッシュのCDで素晴らしい歌を楽しんでいます。

夜も更けましたのでこちらもまた改めてお邪魔しますよ。
ハルくん
URL
2008/10/10 00:01
◇ハルくんさん

再コメントありがとうございます。
サバリッシュとシュライヤーの「魔笛」と伺っただけでドキドキしてしまいました。サバリッシュの颯爽たる指揮ぶりが目に浮かびます。
そしてシュライヤーの演奏会はと言えば、3年ほど前になるでしょうか、「冬の旅」の全曲を、休みなしで歌い通した素晴らしいステージでした。
私の初めての「冬の旅」体験は、実家にあった大昔のモノラル・レコード。ゲルハルト・ヒュッシュのバリトンでしたので、のちにシュライヤーのこの曲を聞いた時は感動というかショックというか。。。

サバリッシュの端正な音楽はN響時代からのファンです。

aosta
2008/10/10 20:47
おはようございます。
シュライヤーの「冬の旅」も聴きたかったなぁ。好きな「春の夢」とかイイでしょうね。
ゲルハルト・ヒュッシュとは本当に古いですね。FMで聴いたことがあった気がします。発売当時のことは(もちろん!)知りませぬ。(笑)
私の場合は逆に最初聴いたのはテノールでした。スゼーだったかどうか・・・?
実家とはお父様がお好きだったのでしょうか?残念ながら我が家には歌謡曲しかありませんでした。
ハルくん
URL
2008/10/11 07:03
◇ハルくんさん

おはようございます。
ヒュッシュ、終戦直後に行われた日比谷公会堂でのコンサートを聴きに行った、というのが、母の口癖でした(笑)。
巻き舌の強い癖のあるヒュッシュの「冬の旅」、SP盤で聴いていました。
LP全盛時代になっても、我が家にはSPだけ、当然録音、演奏者も古いわけで。フィッシャー・ディスカウやヘルマン・プライの名前と、LP盤を知ったのは高校に入ってからでした。シュライヤーに至ってはそのまたあとの話になります。図書館で「レコード芸術」や「音楽の友」等のバックナンバーに夢中で読みふけったことも懐かしい思い出です。
高校生になってもお小遣いらしいお小遣いは貰っていませんでしたので、自分でLPを買うなどということは、夢のまた夢でした。聴くことのできない音楽を、読むことで疑似体験したいという気持もあったのかもしれません。
aosta
2008/10/14 07:28
ふと思い出しました。最初の「冬の旅」はユリウス・パツァークでした。
図書館で借りたレコードがそれだったのです。

高校に「レコード芸術」や「音楽の友」が有りましたか?良い高校だったですね。私の高校にはそんな本は無かったので、もっぱら本屋の立ち読みでした。よほどの特集が有る時以外は買いませんでしたね。(笑)
ハルくん
URL
2008/10/14 23:19
◇ハルくんさん

ユリウス・パツァーク、確かどこかで聞いたことがある・・・と記憶を辿って行きましたら、やっぱり!!
ブルーノ・ワルター指揮によるマーラー「大地のうた」でキャスリーン・フェリアーと歌ってました。ずいぶん探して購入した「フェリアーの芸術」シリーズの一枚です。このマーラーでのパツアークはどちらかと言えばフェリアーの陰に隠れて精彩を欠く印象でした。
改めて聴きなおしてみたのですが、パツァーク自身は決して悪くありませんでした。フェリアーが素晴らしすぎるあまり貧乏くじを引いてしまった、というかんじでしょうか。
彼が「冬の旅」を歌っていたというのは初めて知りましたが、考えてみれば歌って当たり前ですよね!

図書室は私の大好きな場所でした。
メインは明るくて広い第一図書室。雑誌のバックナンバーは一番奥で一番小さい第三図書室にありました。
音楽関係の雑誌だけでなく「キネマ旬報」などもあって私には天国でした。
aosta
2008/10/15 06:01
こんばんは。

むむ、パツァークからワルターの「大地の歌」が出てくるとは、aostaさまは只者では無いですね。(笑)
でもあの録音でのパツァークはフェリアーに負けないくらい素晴らしいと思いますよ。僕は大好きです。
ワルターとフェリアーはきっと親しかったのでしょうね。ワルターがピアノ伴奏をして彼女が歌うシューマンの「女の愛と生涯」のLP盤を昔持って聴いていました。とっても懐かしいです。その「フェリアーの芸術」にも入っているのでしょうか?
ハルくん
URL
2008/10/15 22:48
◇ハルくんさん

お返事遅くなりました。
「女の愛と生涯」フェリアーの芸術シリーズに入っていますよ!
おまけにフェリアーへのインタビューも聴けます。
(URL参照してください)
私もたぶん同じ録音だと思うのですが、昔、高校生のころ、確かロンドンの廉価版で買った覚えがあります。
ワルターのピアノが何とも暖かくて、素晴らしい名演でした。
aosta
URL
2008/10/18 06:18
こんばんは。
そうです、ロンドンの廉価盤です。白いジャケットにフェリアーの顔写真が真ん中に有るデザインでしたよね。棚を探してみたのですが見つかりませんでした。LPは大半を処分してしまいました。最近またLPも聴いているので「はやまったぁ〜(>_<)」と悔やむものが多く有ります。
ハルくん
URL
2008/10/18 19:34
◇ハルくんさん

おはようごじます。
ここ何日かPCを開けませんでした。お返事遅くなりまして申し訳ございません。

ロンドンの廉価版、同じLPを聴いていらしたなんて奇遇ですね

転勤生活が長かったので、なるべく身軽に、とレコードはみな実家においてまいるました。父のSPレコードも相当数あったはずですが、しばらく前に確認したところ押入れの中でカビだらけになっていました(悲)。
CDは確かにコンパクトで扱いは容易ですが、新しく買ったレコードは、カセットに録音して、本体に傷をつけないよう一枚一枚大切に出し入れし、宝物のようだったレコードへの想いとはちょっと違うような気がします。

いつでもどこでも大好きな音楽を聴けるという便利さと引き換えに、何か大切なものを忘れてしまったような、一抹の寂しさを感じています。
aosta
2008/10/24 07:42
僕は映画『アマデウス』を見たことがありますが、あの中でも、「パ、パ、パの二重唱」がありますね。
『アマデウス』のあの辺は、明るい雰囲気がするのですが(aostaさんが見てないかもしれないですけど)、『アマデウス』自体は恐ろしい映画でした、、、、、
モーツァルトさんに生きている内に、災難は降りかかってきたでしょうが、やはり彼の内部、心の中は、明るい人だったと思います。
それが、人生の災難という暗闇がいくら降りかかってこようとも、その明るさを消すことは出来なかったのだと想います。
その災難自体は、彼は十分認識していたと思います。
暗闇の中の光。
その暗闇から逃れるようにして、自分の内部に入っていったのかも知れませんが、逃避だったのかもしれませんが、そこで光を見つけられたのならば、しかもそれが人生の最後であったのならば、やはり、死んでも惜しくはなかったのかもしれませんね。
それが正解だったのかもしれません。
では。
坂本誠
2008/12/16 20:59
◇坂本さん

おはようございます。
「アマデウス」、確かに「恐ろしい映画かもしれませんね。あれがモーツァルトの真実であるとは言えないでしょうが、一つの真実は突いていると思います。言葉に迷うのですが「音楽の魔」とでも言いましょうか。映画の中のサリエリの苦悩も、その魔に取りつかれた者の悲劇かも知れないと思います
音楽への身も世もない愛、それゆえの故の嫉妬、もちろん世俗的な立身出世への欲望もなかったわけではないでしょうが、モーツァルトという天才の前に立ち尽くすサリエリの絶望はいかばかりであったか。
またモーツァルト自身、自らの天才に振り回された人生だったのかもしれません。まるで暴れ馬のようにあふれだす音楽を彼は命をかけて制御しようと試みたのかもしれません。ひとつを「やっつければ」また新たな曲想が嵐のように襲ってくる・・・それは喜びというより苦しみでもあったのでは、と凡人の私は考えてしまいます。
全身全霊、人生そのものが音楽であったとモーツァルト。
aosta
2008/12/17 07:43
坂本さん、つづきです。

坂本さんの「災難」という言葉は意味の深い言葉ですね。
音楽自身モーツァルトにとって「災難」だった可能性を考えてしまいます。でも彼の「災難」によって私たちに輝く光の世界を垣間見ることが許されたのだとも思います。
自分の内部へ内部へと入っていったモーツァルトの音楽だから、私たちの内部を深く照らし出すのでしょうか。
aosta
2008/12/17 07:44
aostaさん へ

難しい問題とは思うのですが、芸術とお金の問題ですね。煎じ詰めれば、モーツァルトを苦しめたのは。
お金の多寡は、生きていく上での
「生き易い、生きにくい」
の指標になるでしょうから。
良い詩や良い絵や良い音楽をを作ろうとするのは、おカネのことを考えていたら、なかなか出来ないと思うのです。
「良い作品を作ろう、良い作品を作って、多くの人の心をふるわそう」
と心の中で念じていたら、良い作品は出来ますが、
逆に、心の中で、
「良い作品を作って、お金をたくさん儲けてやろう。お金を、お金を、お金を、、、、」
と念じていたら、おカネのことばかりを考えているので、結局、良い作品が産み出せないと思うのです。

全ての人にもあると思うのですが、自分の周りが暗かったら、暗いほど、自分の胸の内部にある光がより輝くのかも知れません。
モーツァルトさんだけでなく他の大勢の人に見られるかと思うのです。
では。
坂本誠
2008/12/17 20:31
追伸です。

>それは喜びというより苦しみでもあったのでは、と凡人の私は考えてしまいます。

「喜びは苦しみである」
って、「その通りかなあ」、って、生きていて、重々感じる今日この頃ですね。
では。
坂本誠
2008/12/17 21:24
◇坂本さん

ありがとうございます。
「お金のための芸術」はあり得ませんね。
あったとしたら真っ赤な偽物でしょう。
モーツァルトが生きるために必要としたものはお金より音楽だったと思います。

>自分の周りが暗かったら、暗いほど、自分の胸の内部にある光がより輝くのかも知れません

そう思います。
一見正反対に見える「光と影」ですが、実際は表裏一体同じものですね。
光のあるところには影があり、影のあるところには光があります。

aosta
2008/12/19 05:47
◇坂本さん

「光と影」が一つのものであるように「喜びと苦しみ」も兄弟なのかもしれません。喜びに心が震えるとき、胸が痛くなりませんか?涙が頬を濡らしませんか?
「苦悩を経て大いなる歓喜へ!」と語ったのはベートーヴェンですが、苦しみや悲しみの振度が大きいほど、振り子は大きく、高く喜びへと振れるのでしょう。
苦しみ悩みの渦中にいるときは光が、見えません。
私がそうでした。でも見えないほどかすかな光でも、それは「ある」のです。
「見えない」ことは「ない」ことではありませんね。
見えたと思ったものが実は虚像で、見えないものにこそ真実があるのだと思えるようになったのも、私にも苦しみを抜けた経験があるからなのでしょう。
とはいっても、また新たな悩みに翻弄されている昨今ですが(笑)。
aosta
2008/12/19 06:00

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