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zoom RSS ディヌ・リパッティ  「ブザンソン告別演奏会」

<<   作成日時 : 2006/09/10 00:00   >>

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「一本の矢がはなたれた。矢は尋常ならざる速さで空をめざした。・・・矢はさらにさらに高い空をめざして飛びつづけるはずであった。誰もが、そう信じたし、そう期待した。」

ディヌ・リパッティ。
第二次世界大戦後間もない1950年33歳で急逝したルーマニア生まれののピアニスト。
かの大作曲家エネスコが、洗礼時の代父であった。
 後の1934年、ウィーンでの国際ピアノ・コンクールで彼が二位に甘んじたことに講義して審査員の一人であったコルトーはその席を辞任し、リパッティをパリに招いた。

彼の音楽家としての将来は、これらエネスコとの関係、コルトーの絶大な支持によって約束されていたとも言える。
プーランクが「神のような精神性」と称賛したリパッティ。
ジュネーブ音楽院の教授として迎えられ演奏活動のみならず、作曲活動にも意欲を燃やしていたリパッティに病魔が忍び寄る。
一般的に『白血病』とされていた彼の病気は、現在では、『リンパ肉芽腫』であったことが判明している。

画像


私が初めて聞いた彼のレコードは、1950年9月16日のライヴ録音「ブザンソン音楽祭における告別コンサート」であった。
予定されていた、プログラムのショパンのワルツの最後の一曲を弾き切る事とができないまま彼は舞台を去り、同年12月2日、33歳の生涯を閉じた。
リパッティが医師団の反対を押し切ってまでこの最後のリサイタルを断行したのは、まさに彼自身が最後であることを自覚していたからに他ならない。
 
『たいへん病気が重かったのに、あの人はブザンソンで演奏するという、この約束、この契約を守りたいと念願していました。主治医が説得して思いとどまらせようとしましたが、むだでした。それほど、”約束にそむきたくない”というリパッティの決意は固かったのです。
 あの人にとってコンサートは音楽に対するあの人の愛の誓いでした。それを、あの人は”重大なこと”であると考え、音楽を通して、あの人の演奏を聴きたがっていた大勢の人々に喜びを与えたいと願っていました・・・
                  マドレーヌ・リパッティ「ブザンソン告別演奏会の録音に寄せて」

また、EMIのリパッティ担当のプロデューサーであったレッグはこうも言っている。
『公衆に対するリパッティの責任感は音楽に対する敬虔の念から生まれた。(中略)彼は細かすぎるほど準備しない限り、一音符たりとも公開の席では弾かなかった。つまり、彼の奇跡的な演奏は彼の芸術の肉体的な技巧的な面の完成に根ざしていた。技巧が完璧だったので彼の心と精神を自由に表現することができたのである。』

リパッティが弾くバッハのパルティータ第一番変ロ長調。
この曲を、その死を目前に控えたリパッティは、この上ない清明さと典雅な気品をもって弾いている。
そこには「死」を予感させるものはなにもない。
ただ「音楽」と「音楽への愛」があるだけだ。
このリパッティのパルティータを聞くたびに涙があふれて止まらなくなる。
光射す音楽に包まれているという喜びの涙。
 かれのバッハは、その音楽の奥深くから照射するような光をもって私を照らす。
魂の井戸から汲み上げられるような静かな喜びとともに。

奇しくも、というべきだろうか・・・
リパッティ亡き後、彼に続くピアニストをさがしていたコロンビア・レコードのオッペンハイムはひとりの青年に出会う。
彼の名をグレン・グールドといった。
オッペンハイムは彼の希望を容れてグールドを「ゴルトベルク」でデビューさせることになる。
リパッティの死から5年後の1955年のことであった。

ブザンソン音楽祭における告別コンサート
ブザンソン音楽祭における告別コンサート

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コメント(15件)

内 容 ニックネーム/日時
もうすぐお夜食です。
リバッティですか。
私は似た名前のプリント生地の美しいブランドしか存じません。

戦後間もなく他界されたのですね。
彼のパルティータですか?
もし聴いていたら、私のバッハ像はもっと早くに
変わっていたのかもしれませんね。
グールドも最初に聴いたのが1982年でしたから。
1955年版を後で聴きました。
82年の印象があまりに大きく、暫く55年版は
飾っておいたのですが、また聴き始めました。
最終のアリアに辿り着く前の曲の終わり方。
グールドが、バッハが、素晴らしいのでしょうね。
涙が溢れてしまいます。
そして最後のアリアは半ば放心状態でした。

ああいけない、リバッティのブログでしたね。
彼のCDジャケットの写真の手、すごくいかついです。
そのくせ、右手の指はスパイダーのように曲がって...。

なんという特徴のある手をした人だったのでしょう。
Stanesby
2006/09/10 01:28
◇Stanesbyさま

コメントありがとうございます。
グールドでも、リパッティでもいいのだと思います。。
バッハです。どのような形を通ったたとしてもたどり着いたのはバッハ。バッハに出会えると言うことが素晴らしいのだと思います。
その出会いも一度だけでなく、リパッティのバッハ、グールドの55年、81年のバッハというように繰り返し出会えることこと。
なんて幸せなことでしょう。

演奏会へのアプローチの仕方は正反対であったリパッティとグールド。
でもふたりに合った音楽への想い、その熱さ、深さは変わらないような気がしています。
ふたりとも、おのれの身を削って音楽に献身したのですから。

リパッティの手・・・
言われてみればそのとおりですね。
「手」は多分にその人を表すものもような気がします。
あの深遠なバッハやな端正なショパンはこの指から生まれてきたのだと想うと、思わずため息が。
>そのくせ、右手の指はスパイダーのように曲がって...。
美しい手、指だと思いました。
苦しみや哀しみを知っている手です。
aosta
2006/09/10 05:59
◇Stanesbyさま

>私は似た名前のプリント生地の美しいブランド
リバティ・プリントのことでしょうか?
私も好きです。
それも、ウィリアム・モリスのデザインパターンのものが・・・
aosta
2006/09/10 06:05
おはようございます。
行き着くところはバッハ。確かに仰るとおりです。でもaostaさんが感動されたリバッティ、聴いてみたくなりました。廉価版もありますね。

ウィリアム・モリスだけでも、ブログ、書けるのでは?
Stanesby
2006/09/10 07:51
◇Stanesbyさま

19世紀の英国で活躍した画家であり、工芸デザイナーであり、 作家であり、詩人であり、会社経営者でもあったウィリアム・モリス。

どこから切り込んだらいいのかわかりません(汗)!
19世紀の英国は、恐るべき『マルチ人間』を輩出していますが、モリスこそはその頂点に立つ人ですね。

>ウィリアム・モリスだけでも、ブログ、書けるのでは?
非常に誘惑的なお言葉ですが、私には荷が重すぎます。
万が一なにか書けたとしても、彼のほんの小さな断片でしょうね(笑)
 
aosta
2006/09/10 08:53
聴きました。
リパッティは、いつかいつかと思いながら十年以上もたっていました。
こんなに素敵だったとは・・・
教えていただき、ありがとうございました。
Suzuka
2006/09/11 22:51
◇suzukaさま

トラックバックありがとうございました。
このブログ、初めてのトラックバックです。
 suzukaさんの美しい言葉で語られたリパッティ、ひっそり輝く雨滴のようです。。

リパッティのピアノ、静かに静かに心に滲みていきます。
aosta
2006/09/11 23:12
こんばんは。
階段とは和解されましたでしょうか。

お写真のCD、見ました。ジャケット写真を見ました。
リバッティの右手、親指はEs〜小指がFisまで
らくらく届いています。

スパイダーか、はたまたクラブさんか!
伝説の大きな手だったラフマニノフみたいです。
驚きました。

スカルラッティ、バッハ、、モーツァルト、
シューベルト、そしてショパン。
収録演奏曲を見ましたら、この大きな手とどうしても
イメージが一致しません。

リストやラフマニノフも弾かれたのでしょうか。
Stanesby
2006/09/12 19:55
◇Stanesbyさま

Stanesbyさまはピアノを弾かれるのでしょうか。

>リバッティの右手、親指はEs〜小指がFisまで
らくらく届いています。
 なるほど。
大きな手だとは思いましたが、私にそこまでわかりませんでした。
確かグリークのピアノ・コンチェルトの録音はあったはずですが、聴いておりません。
リスト、ラフマニノフ・・・
調べればわかるのでしょうが、私の中のリパッティのイメージとは一致しません。
彼の優れて繊細なピアノの音、美しすぎる彼の「うた」は、お言葉の通り、スカルラッティ、バッハ、、モーツァルト、シューベルト、そしてショパンにこそ似つかわしいと思います。
 もっとも、彼があまりにも早過ぎたその死を免れていた、と仮定するならありえたのかもしれませんね。
ちょっと調べてみましょうか・・・
aosta
2006/09/13 01:07
びっくり!
調べてみるものですね。
バッハ、リスト&バルトーク : ピアノ協奏曲集というCDを発見いたしました。
考えてみればラヴェル、エネスコの録音もあります。
こちらのCDは私も持っていました(笑)
aosta
2006/09/13 01:15
そうでしたか。いや、お手数をかけました。
多才な方だったのですね。早く逝きすぎましたね。
Stanesby
2006/09/13 02:23
 ついでに、こちらにも、失礼します。
 もし、御存知だったら、教えてください。
 この記事にあるブザンソンのライブで、最後のワルツを弾けなかったリパッティが、かわりに「主よ、人の望みの喜びよ」を弾いた、という話は、ほんとうのことなのでしょうか。
 昔、友人のE君が、熱く語っていたのを思い出してしまいました。

 わたしも、ブザンソンのライブ録音を聴きましたが、それは収録されてなかったように思います。
Nora
2007/10/10 13:26
◇Noraさん
 こちらにもコメントありがとうございました♪

>最後のワルツを弾けなかったリパッティが、かわりに「主よ、人の望みの喜びよ」を弾いた、という話は、ほんとうのことなのでしょうか。

これは有名な逸話ですけれど、実家にあったブザンソン告別コンサートのレコードのライナーノーツを読んだ記憶では、事実だったと記憶しています。またNoraさんが仰るようにこの曲自体は収録されていませんでした。どういう経過かは存じませんがレコード化される際、リパッティ夫人の意向によって収録はされなかったようです。

昨日、読みたいと思っていた本「ディヌ・リパッティ」(URLごらんください)をやっと手に入れましたので、これからじっくり読みたいと思っています。
きっとこのエピソードについても新しい事実を知ることができるかも知れません。またお知らせいたしますね。

aosta
URL
2007/10/11 11:53
リパッティほど 神秘的精神性の深遠なる 深みに を 表現できた 20世紀の 音楽家は なかなかいないような気がしますね〜 彼が 最近の 音楽家だったことが 時代は変われど やはりヨーロッパは ルネサンスの精神性 まさにレオナルド・ダ・ヴィンチのような 精神性が脈々と 今でも続いている。救いですね…ある意味 混沌とした現代は リパッティのような 芸術的癒しが 必要な時代ですね…現代は ローマが終わって 混沌の中世ビザンチンに 入ったとも 言われています…リパッティ 昔は あまり 知られてなかったが 今 リパッティは 人気ありますね〜最も好きな音楽家ですよ…
南青山インテリアデザイナー
2012/09/10 07:05
◇南青山インテリアデザイナーさま

もう更新されないままの古いブログにコメントをお寄せ下さいましてありがとうございました。
リパッティがお好きと伺い嬉しいです。
私も彼の演奏には深く透徹した精神性を感じます。
極限までストイックでありながら、豊かな音楽性に満ち満ちた演奏は、最近めったに出会う事ができません。リパッティ、クララ・ハスキル、といった過去の名演奏が復活再評価される事は嬉しいですね。
aosta
2012/09/10 23:21

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