「12ステップ」・・・ 終わりからの始まり  at 八ヶ岳中央高原キリスト教会

夜、小さな集まりがありました。
週に一回、全部で12回のプログラム。
毎回、違うテーマで、それぞれが思うことを話します。
でも、誰かが言ったことに対して、何かコメントするということは一切ありません。
批判、意見、質問はもとより、共感の言葉もここでは必要がないのです。
ただ、集まったメンバー、ひとり、ひとりの話に心から耳を傾けます。
「聞く」ということだけに、集中するのです・・・

約束事がひとつ。
この「12ステップ」の集まりにおいて話されたことは一切口外されてはならない、ということ。
話したくない人は、何も話さなくてもいい。
「言葉にしないこと」それも、ひとつの状態。
だれも無理をせず、強いられず。
時には、何10分も沈黙が続くこともある。それは「必要な沈黙」。

時間は、きっちり1時間30分。
何か解決したとか、したいとか、そういうこととはまったく無関係に時間厳守。

画像

       St Martin's Church in Brampton, Cumbria ステンド・グラス/ウィリアム・モリス


最後に皆で祈ります。
 『主よ、私をあなたのいやしの器とし、私が弱く、痛みの中にいるときは、休ませてください。
不安のあるところには待つ心を、恐れのあるところに信頼を、孤独にあるところに愛を運ぶ者としてください。
私が自分からあなたを隔ててしまった時は、あなたが近くにおられることを知らせてください。
癒しの神様、何でも自分でやろうと自分に強いるのではなく、人の助けをうけさせてください。
自分でできることを人にやってもらおうと期待するのではなく、良くなるために自分の分を果たすようにさせてください。
逃げようとするよりは、むしろ自分に直面し、あなたの愛の深さを学ばせてください。
私たちがまことの信仰を見出すのは、不確かな中であってコントロールされた中ではないからです。
私たちが潜在的な力を見出すのは、最善をつくしているときです。
私たちが精神の全体性を見出すのは、心身の限界を知るときです。
そして、永遠に続く命と愛を見いだすのは、死を通り抜けるときなのです。』

今夜は12回目。
最後の12ステップの集まりでした。
でもこれは終わりではなく、始まりです。

     ☆「12ステップ」とは・・・
もともとは、AA「アルコール依存症」からの回復のためにアメリカで開発されたプログラム。
現在では、同じ手法によって心の傷からの開放、人間関係の再構築、感情のコントロールのための「12ステップ」が展開されるようになっています。 
今回、私が参加したのは「キリスト者のための12ステップ」。
自分で気が付かなかった否定的な感情、(過去の否定、現在の否定を含めて)に気が付き「自分で変えられるものは変えていく勇気 」「変えられないものをうけいれる心」そして、この「変えられるものと、変えられないものとを見分ける賢さ」を身につけるための学びです

この記事へのコメント

ちょびママ
2006年09月12日 11:30
少しご無沙汰してしまいました。
その後、お怪我の具合はいかがですか?
私も20年近く前に階段から落ちた事があります。
しばらく入院しました。
本来ならトラウマになっても良さそうなものを、今でも平気で2、3段階段を踏み外してはセーフなんてひとり笑いしてます。
のん気なんでしょうか?
そんな自分を面白がれる。。。何だかaostaさんとの共通点見つけてちょっと嬉しかったです(笑)

さて、「聞く」という事だけに集中するって難しくないですか?
人間どうしても批判や共感を口にしたくなるものです。
初めは自分との闘いになりそう(笑)
そうか。。。
☆「12ステップ」とは・・・
を読ませて頂いて、なるほど納得しました。
lavie
2006年09月12日 18:28
◇批判、意見、質問はもとより、共感の言葉もここでは必要がない・・

いいですね。心の中のことを誰かに聞いてほしいと思うことはあります。でも、だれかれと話せるものではありません。それぞれにみな立場があり、差し障りのある話もあります。
家族に聞いてもらいたいことも、時間とタイミングがあり、すべて聞いてもらえるわけでもありません。
聞いてもらえるだけでOKということがあります。
そこで、意見を言われると、かえって、いらついてもう二度とこの人にはしゃべらないっていうことになりかねます。(我が家の場合)
だけど、秘密がもれるのは困る。ここでは、一切口外しないっていう約束は、すばらしいですね。宗教心で結ばれているからこそ、できることなのでしょうか。全然知らない関係のほうが話しやすそうですね。
2006年09月13日 00:07
◇ちょびママさま

コメントありがとうございます。
私は人並みはずれて、のんきでぼんやり。似てますか?
似てるとしたら嬉しいです(笑)

>「聞く」という事だけに集中するって難しくないですか?

確かにその通りだと思います。でも、聞くことこそが始まりでもあるということが、少しだけわかったような気がしています。
心から聴くこととは相手に限りなく近づくことに似ています。
「自分」と「自分以外の他者」との境界をなくしていくことで、相手に同調し、自分のこととして聴くことで自らも解放される。
この12ステップという場所にあって「聞くこと」と「話すこと」の間に高さの違いはありません。
2006年09月13日 00:32
◇lavieさま

今回の12ステップに参加していたのは8名。
高校生。リタイヤしたご夫婦。
パン屋さん。専業主婦。お孫さんのいらっしゃるおばあちゃま。
リーダー役でありカウンセリングのエキスパートでもある牧師夫妻。
年齢も職業も皆ばらばらです。
でも、根底にあるものは信頼。みな心の痛みや過去の傷を持っているという共感。けれども、必ずしも個々の経験や思いをわかってもらおうと話しをしていたわけではない、ということに途中から気が付きました。


2006年09月13日 00:33
話すことで自ら正されることがあるのです。
誰も何かを言ってくれるわけではありません。
自分の内面を覗き込みながら話し、話しながら聴く。
その繰り返しのうちに、何か暖かいものに満たされていく。
不思議な経験でした。
 決して宗教的なアドヴァイスや方向付けがなされるわけではないのです。クリスチャンも、そうでない人もいます。
牧師がリーダーとはいえ、彼もまた、他のメンバー同様解決できない自分の問題について話し、私たちと同じ立場で聞くのです。
言いたい放題話すのではなく、聞き流すのでもありません。
共有と共感の実感が12回のテーマを終えて私たちの心を暖かく慰めてくれました。
Stanesby
2006年09月13日 02:42
こんばんは。
12ステップ、階段の段数のことかと思いました。

いや失礼。
本文もさることながら、コメントのやりとりにも、
心を打たれました。

反論ではないので誤解は無用ですが、
私は、家族は別として、社会生活においては、
他人の秘密は極力「聞かない」ことにしています。
「聞くこと」をしますと「誰にも言わないこと」が
もれなく付いてまいります。これを守れる自信が
ないのなら、最初から聞かないでおこうという、
ある意味では逃げの考えかもしれません。

批評したくなる、同情したくなる、同意したくなる、
全て押し殺すのは、私には荷が重そうです。

12ステップ、聞くことより、漏らさないことの方が
よほど難しいのではと感じました。

おやすみなさい。
2006年09月13日 05:40
◇Stanesbyさま

階段でしたら15ステップになります。
ちょうど、昨日かぞえたばかりですから間違いはないはずです(笑い)
非常にわかりにくいことかもしれませんが、今回のこの集まりにおいて「秘密」という意識を持って話されたお話は、無かったと思います。
Lavieさんの仰られたように、同じ信仰に立つ、若しくは立ちたいと願う人々の間に、「ここだけの話」という感覚はあまり無かったようにおもいました。
ひとりで守るにはあまりに重すぎるもの、あまりに哀しすぎることをみんなで分かち合うこと、分かち合うことが可能なのだということなのかもしれません。
 「根底にあるのは信頼」と書きましたが、もう一つ大切なことがありました。「敬意」です。
年齢、性別、職業といったものにとらわれない、相手に対する「敬意」があってこそ「聞くこと」を可能になるのではないかと思いました。
Stanesby
2006年09月16日 23:36
こんばんは。
「聴くこと」に重きをおかれた手法なのですね。
拘るようですが「聴くこと」と「誰にも言わないこと」
その両方の力を養成する素晴らしい集まりだったのですね。
Stanesby
2006年09月17日 09:02
「ここだけの話」

これが一般社会における曲者です。
これが私は嫌なんです。
わかってもらえますでしょうか。

「ここだけの話」というのがない12ステップ、
それは素晴らしいと思うのです。

言葉を知らない理系人間です。
2006年09月18日 06:35
◇Stanesbyさま

>「ここだけの話」というのがない12ステップ」
そういわれて初めて考えてしまいました。
あの場所で話される話の中には、万が一外部に漏れたら、話した人が傷つくばかりでなく、その人の人間関係まで一変させてしまうかもしれない重くて深刻なお話もあります。
でも、誰もその話を「人の話」として聞いてはいません。
あの場所で語られるどんな話も、全て自分の物語なのです。
自分と同じ痛み、自分と同じ涙、自分と同じ哀しみとして、語られること全てを自分のこととして受け入れる。
語る人、耳を傾けるひとも目から涙がこぼれます。
涙を流しながら想いを分かち合う・・・
こうした一体感「真珠の分かち合い」とよばれています。

心に溢れた想いを言葉で開放する。
いつも静かで、熱い時間です。


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