『受胎告知』 / レオナルド・ダ・ヴィンチ 

先日20日から、東京国立博物館で「レオナルド・ダ・ヴィンチ展」がはじまりました。
あの有名なレオナルドの『受胎告知』が日本で見られるなんて、考えてもみませんでした。

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『受胎告知』
若きレオナルドが、師であったヴェロッキオの工房から独立し、始めて完成させた作品にして、その後のレオナルドが目指したものの萌芽がすべて表現されているといっても過言ではない記念すべき作品です。
対称軸の右にマリア、左に受胎を告げる大天使ガブリエルを配し、総てのベクトルが一点に向かう消失点を中心にした、シンメトリカルなその構図は、ゆるぎない秩序、安定といったものを観るものにもたらします。

すでに定めらた『神の秩序』。 
ここから始まる神の大いなる計画。
壮大なドラマが始まる前の静けさです。

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             「受胎告知 」レオナルド・ダ・ヴィンチ(1472-73) ウフィツィ美術館

天から舞い降りたガブリエルの翼の羽ばたきが終わった、まさにその瞬間。
「動」から「静」へと一瞬にして切り替わったそのとき。
すでに画面には音もなく、かすかな風の気配もない、あたかもそこだけ時間が止まっているかのような静寂が満ちています。
しかしその静寂は、深い静謐を一瞬で破る濃密な意志に満ちた静寂でもあります。
およそ想像を超えたマリアの運命を告げるガブリエルは深くは膝をかがめています。
その知らせを聞くマリアの表情は、凛として穏やか、怖れも、驚きも伺い知ることは出来ません。
あるのはただ、微動だにしないマリアの受容だけ。
その眼差しは、すでに人間を超えているかのようです。
このレオナルドのマリアは、すでにカトリック的聖性、すなわち「無原罪」のマリアとして人間を超越する存在として、えがかれているように思います。

それにしても・・・
この天使の美しさ、マリアの清らかさはどう言ったらいいのでしょう!
かつて、師であったヴェロッキオをして感嘆せしめたレオナルドの「天使」。
マリアに向かって差し伸べられた右手の指先には神の意志が宿っているようです。
マリアの純潔の象徴である百合の花を支える左手のなんと優美なことでしょう。
天使の足元には、星がこぼれるようにさまざまな花が、まるで祝福であるかのごとく咲き乱れています。

マリアの前には書見台。
彼女がその瞬間まで読んでいたものは、神様の言葉、聖書だったのでしょうか。
14歳のいたいけな、しかし揺らぐことの無い信仰に護られたマリアの、苛烈に輝く運命の歩みは、まさにこのときからはじまりました。

3月25日は、カトリック教会では「マリアのお告げの祝日」、受胎告知の日です。

この記事へのコメント

Stanesby
2007年03月23日 23:59
初っ端のコメントで恐縮です。
これでも一日待ってみたのですが・・・。

ダ・ヴィンチの画は僕も大好きなんですが、
聖書をすこしばかりかじるようになりましたら、
不思議なもので、この画には強い違和感を感じるようになりました。

何と言っても、この場面が神聖化されすぎているように思うのです。マリアが受胎告知を受けたときに、こんな立派な姿をしているはずがないとか、書見台で聖書を前に優雅に読んでいるような生活はしていなかったはずだとか、もっともっと清楚なはず・・・と思うのです。

でも、そんなことは承知の上で、あえてこういう画を巨匠は描いたのでしょうね。僕はまだまだです。
2007年03月24日 07:36
◇Stanesby さん
>初っ端のコメントで恐縮です。

とんでもありません!最初に頂いたコメントはいつでもとても嬉しいもの\(*⌒◇⌒*)/♪♪ ありがとうございました。
Stanesbyさんの仰ること、良くわかります。
というよりは、常々私も感じていることでもあるからです。
実はこの記事をアップするに当たって「公開」前に削除した部分がありました。それは、個人的にはフラ・アンジェリコの作品の方が好きであることと、また何故そう感じるのかについての短い文章でした。
 レオナルドの天才は誰もが認めることですし、この「受胎告知」が傑作であることに変わりはありません。まして今まさに「特別展」の真っ最中、他の作品と比べるのもなんだか・・・という気がしてしまったのです。

しかぁ~し!
「禁」は破られました。
書いちゃいますね。多分そのほうが気持ちとしてはすっきりするでしょうから。
そしてStanesbyさん、お気づきのことは遠慮などなさらずに書いてくださいな。そのほうが、私も書きやすいような気がします。(笑)
2007年03月24日 07:39
◇Stanesby さん
>何と言っても、この場面が神聖化されすぎている

私もそう感じます。
この劇的な『受胎告知』の場面で、イエスの弟子ルカによれば、マリアは天使の訪れに「戸惑い」「恐れ」たとあります。(ルカによる福音書1:26~38)そしてマリアは戸惑い恐れながらも、『わたしは、主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように。』と答えています。
彼女はこの上ないつつましさと謙虚をもって天使と天使の言葉を受け止めているのです。
が、しかし。
このレオナルドのマリアは、天使と対等、もしくはそれ以上に威厳に満ちているように見えてしまいます。
この絵に描かれたマリアはあまりにも堂々としています。
すでに「無原罪のマリア」もしくは「戴冠したマリア」のごとくです。
2007年03月24日 07:41
レオナルドの時代、こうした絵の制作を依頼したのは教会であり、また貴族であり裕福な商人でありました。
依頼者の希望に沿って作品を描かれたことは容易に想像されます。
また当時の絵画の主流は、ボッティチェリやヴェロッキオにも見られるように、優雅にして繊細、華やかで美しい絵でした。
やっと親方として認められたばかりのレオナルドにも、こうした時代の影響は当然あったでしょう。

まだ書き足りないのですが、とりあえずこのあたりで。
まだ続きはございます(笑)
2007年03月24日 08:46
先日はすみませんでした。ココログは1昨日からいちいち自分がコメントを書く場合もコメントの検証で数字記号を入れるのになりました。

この受胎告知をウフィツィ美術館で見たのですが、何の知識も無いままボーと時間にせかされてでした。
このたび日本にありがたくもヨーロッパ以外初めて来たので、行ってみようと思っています。
先日NHKハイビジョンで6時間にわたって放映していましたね。
新聞にも特集が組んであって様々知ることができて、aostaさんの考えにも接して楽しく鑑賞が出来そうです。
2007年03月24日 09:52
◇tonaさん
 おはようございます。

こちらこそ失礼していて申し訳ございません。
ウフィツィ美術館、あまりにも広く、また所蔵作品が傑作ぞろい。
気ばかりあせって、ゆっくり鑑賞している間もなかった、というのが私の正直な感想です(笑)。どれをとっても、重量級で感覚が麻痺したしてしまったかのかもしれません。
それを思うと、サン・マルコ修道院で見たフラ・アンジェリコの『受胎告知』は、この作品だけに没頭し、この作品と共に幸せな時間を過ごすことができました。
その分、フラ・アンジェリコに思い入れがあるのかもしれません。

今回の「特別展」、押し合いへし合いの人だかりになるのだろうと思うと、見に行きたい気持ちは山々なのですが、迷うところでもあります。


2007年03月24日 12:17
◇Stanesbyさん
 続きです。

レオナルドの時代、キリスト教といえばイコール、カトリックでした。
当たり前ですが。(笑い)
もしかしたら「カトリック」(普遍的なという意)といういいかたも、宗教改革以降、プロテスタント教会に対抗する呼称として用いられるようになったのかもしれません。
これは私の思いつきで、真偽のほどはわかりませんが。(笑)
ルターの宗教改革はまだ半世紀近くあとのことになります。
2007年03月24日 12:17
ご存知の通りカトリック教会は法王を頂点とするヒエラルヒーからなっています。法王は権威の象徴であり、教会はその強大な権威の現わすものとして、壮麗にして厳かなものでした。
教会を飾るにしても、諸侯や貴族の館を飾るにしても、キリストの母が、つつましく、貧しい一介の少女として描かれたのでは、差し障りがあったと考えた方が良いかもしれません。
 また一般の庶民にしてみても、憧れや崇敬の対象としてのマリアに、美しく威厳に満ちた姿を求めたのかもしれません。
一部の例外はあるにしても、写実的な、または画家の「信仰告白」としてのマリアやキリストが描かれるようになったのは、やはり宗教改革以降になるのかもしれませんね。
ちょびママ
2007年03月24日 14:57
いつもながらaostaさんの言葉の美しさ、表現力の豊かさにはダ・ヴィンチの作品より感動します。
芸術に疎い私がこの作品を見ても、無表情な顔なのに力のある目が怖い。。。そんな感情しか思い浮かばないのですが、aostaさんの解説を聞きながら見ると違ったように見えるから不思議(笑)
そうか、無表情は受容、力のある目はすでに人間を超えてるからなのですね。
ふ、深いです。。。
2007年03月25日 00:41
◇ちょびママさん
  こんばんは。コメントありがとうございます。

今回の『受胎告知』に限らないのですが、絵に対する見方や感じ方は、ほとんど独断と偏見と言ってもいいかもしれません。
ブログにアップするからといって、裏づけを取ることもしませんのでまったくの私見にすぎません。
間違ったことを書いて、気が付かないでいることもあるかもしれません。
でも、ある意味、このブログは私の日記のようなもの。
何を見て、何を感じたのか、自分の言葉で記しておきたいと思ってます。

そうした「覚書」のような文章を、ちょびママさんにほめていただけるなんて素直にうれしいです。
写真や音楽で自分の感性や感じていることを表現できない私には、言葉は唯一自由になる手段です。
その「言葉」に反応していただけること。
これ以上の喜びはありません。

ありがとうございました!!
2007年03月25日 10:40
 遅ればせながら、おそるおそる・・・・。
 あらためて見てみると、美しい彫像のようなマリアはともかく、ガブルエルの表情はすさまじいですね。
 ダ・ヴィンチ展のことは知ってましたが、いまさらな、という感じでした。
 でも、aostaさんの文章やみなさんのコメントを読ませていただいて、これは絶対に、実物を自分の目で見ないと、と、思い直しました。
 せっかく、ちょうど、受胎告知の季節に、日本に来てくれたのですし。
 でも、混んでるんだろうな。
2007年03月26日 00:32
◇Noraさん
>あらためて見てみると、美しい彫像のようなマリアはともかく、ガブルエルの表情はすさまじいですね。

マリアにばかり目が行っていて、ガブリエルの表情をしっかり見ていなかったかもしれないことに気が付きました。
凄まじい・・・
確かに、このガブリエルの表情は美しいけれど怖い。
腰を深く沈め、上目遣いにマリアを見つめているその眼差しは、確かに強い光りを放っています。
暖かい、という眼差しではありませんね。
目を隠してみれば、しごく美しい横顔です。
この目の光りは何なんでしょうか・・・

見る角度によって印象がまったく変わることがあります。
もしかしたら、この絵も。
それとも、レオナルドはこの視線に何らかのメッセージをこめたのでしょうか。だとしたら、一体何のメーセージを・・・?

レオナルドが描く人物(女性)は、モナ・リザに限らず不可思議な微笑を浮かべていることが多いようにも思います。
あたかも、画面のあちら側からこちら側をじっと見つめているような視線、ほのかな微笑。

これはやっぱり、実物を見るほかないかもしれません。

Stanesby
2007年03月26日 08:32
丁寧なお返事をありがとうございました。
ちょっとホッとしました。

大天使の目は確かに印象的です。
マリアのことを既に全てお見通しとすれば・・・
「何も恐れることはありません。神の意のままに。」
と、目で殺して(ちょっと変な言い方ですけど)いるのでしょうか。
2007年03月29日 22:33
◇Stanesbyさん

まだまだ言葉の足りないところはは沢山あると思うのですが、この辺りでとりあえずはおしまいにいたしますか?
リクエストがございましたらいつでも再会する用意はございます。

>目で殺して(ちょっと変な言い方ですけど)いるのでしょうか。

確かにあの目でみつめられたら、NOとはいえませんよね(笑)。
この天使には、フラ・アンジェリコの天使のような穏やかさ、敬虔さはないかもしれません。
beingreen
2007年03月29日 22:47
こんにちは。今度の日曜日に上野に見に行ってこようと思っています。
桜の季節だし、混むでしょうね。私もレオナルドの絵全般に
すごいなあという思いはあるのですが、好きだなあと思う絵は
ほとんどありません。それでも見に行きたいなあと思わせるところが
レオナルドのすごさでしょうか。
2007年03月29日 23:32
◇beingreenさん

お越しいただきましたこと、すごく嬉しいです(=⌒ー⌒=)
いつぞやは大変お世話になりました。
その後お変わりはございませんか?

>今度の日曜日に上野に見に行ってこようと思っています。

東京の桜はそろそろでしょうか?
上野も混むでしょうね。
でも、美術館は逆に空いているかも知れません。
先日この特別展を看に行ったという友人は、思いのほか空いていて、拍子抜けだったと言っていましたが・・・

>好きだなあと思う絵はほとんどありません。

レオナルドは全ての点において、完璧すぎるのかしら。
いつまでもじっと眺めていたい絵というのとは、ちょっと違います。
前の方のコメントでも書きましたが、私の場合どうしても「見られている」という感じがしてしまって、心やすらぐ絵というのでもない気がします。
それでも、みたいと思わせる作品。
仰るとおり、レオナルドのすごさかもしれませんね。

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