「人が呼ぶと、それはすべて、生き物の名となった・・・」 

毎朝、我が家の愛犬と一緒に自宅近くの雑木林の中を散歩します。
爽やかな朝の風とまだひやりと冷たい光を感じながら行く木漏れ日の小径。

太陽を求めて、空の高みまで梢を伸ばす樹々。
その下に広がっている艶やかな緑。
年毎に大きな株となって、存在を主張しているもの。
目を凝らさなければそれと気づかないような小さな蕾をいっぱいつけている群落もあります。
視線を転じれば、かすかな羽音を立てて飛び交っている蜂やアブ。
ひらひらと花びらのように風に舞う蝶。

こうした生きとし生きるものすべてに名前があるということは、考えてみれば凄い事ではないでしょうか。
いきものに限りません。
目に見えるもの、見えないものを問わず、この世の森羅万象のすべてに名前があります。
そしてそれは確かに、「人間」が与えた名前なのです。

「主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくり、人のところへ持ってきて、人がそれぞれをどう呼ぶか見ておられた。人が呼ぶと、それはすべて、生き物の名となった。」                                          
                                         創世記 2:19 
 


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創世記の中で、神が最初の人間に与えた名前はアダム。

「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。
人はこうして生きる者となった。」 創世記 2:7


「アダムは女をエバ(命)と名づけた。彼女がすべて命あるものの母となったからである。」 創世記 3:20

人は名前のない物を愛することはできません。
アダムは名前をつけると言う行為によって、初めて「言葉」を発しました。
それは自分と対等の人間として創造された存在「女」に対する積極的な愛の表現。
名づけることはひとつの積極的な行為の始まりであると同時に、愛することでその対象に新しい命をあたえることでもあるのかもしれませんね。

全てのものに名前があるということ。
私たちは名前の中で生きています。
名前はそのまま実体であり、秩序です。
そして名前は与えられるものでもあります。
本来名前そのものが持っていた根源的な力を思い出したいとおもいます。

「名前」を与えられたとたん,"one of them"だったものが"only one"になる不思議。
名前をつけるという行為は、物と物、人と人とを区別するものであると同時に、漠然として定かでない対象が、はっきりとした興味や関心の対象となる始まりなのではないでしょうか。

   
     ★写真はミケランジェロ 「アダムの創造」 システィーナ礼拝堂

この記事へのコメント

2007年05月29日 15:45
 こんにちは。
 ちょっと話がずれてしまうかもしれませんが、音楽作品も、名前(あだ名)がついてる方が人気あるみたいですね。
 カンタータなんて、番号と、ややこしい文語体の始めの歌詞、だけ。
 呼び名があっても、世俗カンタータだとか、農民カンタータだとか、なんじゃ、そりゃ、と、いった感じ。人気が無いわけです。
 カンタータなど、一見小難しいものを覚えて、親しむ一番の方法。
 ズバリ、自分だけの名前をつけてしまうことです。
 aostaさんがおっしゃるとおり、その瞬間、その曲は特別なものになります。
 わたしはもちろん全曲に名前をつけてますが、どういう名前なのかは恥ずかしいので絶対に秘密です。
(そんなこと、誰も聞いてないですね・・・・)
うさみ
2007年05月29日 20:16
初めまして、うさみと申します。ダ・ヴィンチの「受胎告知」で検索してこちらのブログにたどりつきました。
どの記事も興味深く、画像も美しくてさかのぼって読みまくってしまいました。これからもお邪魔させていただきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。

名前の大切さ、って最近よく考えます。
道端の小さな花の名前が知りたいと思うようになりました。

ちまちまとした日記ブログをやっています。http://usami.tea-nifty.com/
2007年05月29日 20:23
◇Noraさん
  コメントありがとうございます。

>カンタータなんて、番号と、ややこしい文語体の始めの歌詞、だけ

私がカンタータになかなかなじめなかった理由のひとつにその名前が覚えにくいというのがありました。
いいなと思った曲がしばらくすると特定できません。
あれは何番だったかしら???
数字に弱いaostaにとってはまさに鬼門。
白状すれば未だに定かでない曲がいっぱいです。

>ズバリ、自分だけの名前をつけてしまうことです。

これは素敵なアイディア!と思ったのですが、考えてみればやっぱり番号と対比させて覚えなくては意味がありません。(涙)
こうなるとひたすらNoraさんが頼りです。

>(そんなこと、誰も聞いてないですね・・・・)

私だけにこっそり教えてください!
2007年05月29日 20:41
◇うさみさん
  こんばんは。ようこそおいでくださいました。

>道端の小さな花の名前が知りたいと思うようになりました。

花の名前って本当に気になります。
美しい園芸品種の花ばかりでなく、路傍にひっそりと咲いている花でも、名前を知っているだけでとても愛しく感じられてきますね。

名前をつける、名前を呼ぶ、名前を覚える・・・
相手(対象)を大切に思えばこそできることだと思います。

つたないブログですがどうぞよろしくお願いいたします。
うさみさんのブログにもお邪魔させていただきますね。
tona
2007年05月30日 09:18
>私たちは名前の中で生きています
そうなんですね。これって凄いことです。
そんな中で生きているとき、たとえば、道端の雑草の名前がわからないもどかしさが、植物への興味を引き起こしてくれたと思います。
いろいろ名前を教えてくれる、かなえてくれるパソコンのありがたさに感謝したりもします。
昔、一般人民には名前がなかったとか。それでも愛称とか番号とかで呼んでいたのでしょうか。個人が踏みにじられていた時代のことを思ってしまいました。
2007年05月30日 11:45
◇tonaさん
コメントありがとうございました。

名前がわからないと、どうしても落ち着かないこと私にも良くあります。
その分、それがわかったときはなんだかすごく嬉しい。
名前を知ってると、距離が縮まるような気がしませんか?

>個人が踏みにじられていた時代

名前は今も昔もその存在に深く関わるものなのでしょうね。
tonaさんのこうした感覚には、いつも教えられます。
ありがとうございました。
icashiya
2007年06月11日 02:21
「名前」を与えられたとたん,"one of them"だったものが"only one"になる不思議。」此処に強く惹かれました。

引用リンクさせて頂きました。事後承諾でゴメンナサイ。

tona様の>個人が踏みにじられていた時代そうですね。
個人に名前は無かったと言う事は存在の否定ですね
2007年06月11日 08:01
◇icashiyaさん

おはようございます。
引用リンク、まったく気になさらないでくださいな。
むしろ活用の場があって嬉しいです。(笑)

日本の民話、外国の民話でも「名前」が大きな意味を持っているお話が多いです。
たいてい名前を隠しているのは「邪悪な物」で、名前を暴かれて退散する
というストーリー。今思いついたのは「大工と鬼六」。
期限を切って名前を当てなければ、村人に悪さをするぞ!と脅かすオニの名前を見事に当てて鬼は逃げてめでたしめでたし・・・
こうした昔話の中でも名前はその存在(実体)と深く結びついています。

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