シューベルト 『魔王』 / フィッシャー・ディスカウ

中学生の音楽の教科書に載っていた。
音楽鑑賞の時間にレコードを聴いたものの、あまりぴんとこなかった。

季節からすれば木枯らしの吹く晩秋から冬にかけてのイメージのこの曲が、今になって気になって仕方がない。

病の子を抱えて漆黒の闇の中、馬を駆る父親。
彼の思いはただ一刻も早く家に帰りたいというそのことだけ。
微熱のまどろみの中でも火照った頬に風は冷たく、子供は思い出したように目を開く。
真っ暗で深い森。咆哮する風の音。
樹々は威嚇するかのように捻じ曲がった枝を広げ、闇の中でなお黒々とした影を落としている。
世界から隔絶され、生と死がその狭間でせめぎ合う闇の世界。
太陽の下では認知されないさまざまな悪意が息を吹き返す時間。

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無意識で空っぽな心にだけ囁きかける魔王の邪悪な言葉は、子供の心を縛り羽交い絞めにしていく。父親に助けを求めても、彼はその邪悪な情念を感じることができない。
やっとの想いでたどり着いた我が家。
暖かな火影の中で父親は腕の中の子供がすでに息絶えていることに気がつく・・・

初めて、怖い、と思った。
「魔王」に象徴される超自然的な闇の力。
暴力的にそして一方的に働きかけるデーモニッシュな悪意。
魔王に誘われ行く子供と父親との会話は最後までかみ合う事はない。
愛する物が失われようとしている、まさにそのとき二人が見ているものはまったく別の物なのだ。
時と場所を同じくしながらも、父親は子供の側にはいない。
「魔王」はこの不条理の究極のドラマなのかもしれない。
ゲルマン的な森の思想。
「黒森」Schwarzwaldという深く大きな自然が育んだ情念をゲーテは言葉にし、シューベルトが受け取った。
二人の間にあったものはこの「黒森」的なものへの共通の怖れであったのではないか。


フィッシャー・ディスカウは語り手、子供、父親、そして魔王と四者の声、雰囲気を使い分けてこの劇的な歌を一気に聞かせる。
低く、時に甘く、囁きかけるような魔王の声。
追い詰められ、だんだん切迫していく子供の、嘆願するような声。
低く高く、絶えず連続しているピアノの音は時に風の音であり、速駆けのひづめの音であり、恐怖に締め付けられていく子供の心臓の鼓動でもある。
屋敷にたどりついて最後に語られる「腕の中のいとし子は死にてありき。」のフレーズは、子供が死して初めて手にしたおだやかな眠りのうちに、大きく深呼吸したかのように静かに聞こえてくる。
父親の嘆きや慟哭は歌われない分、深い。


「魔王」 Johann Wolfgang von Goethe

あらしの夜半に馬を駆るものはたれそ?
いとし子とその父なり。
父は子を腕にかかえ
あたたかくしかとかばえり。

「わが子よ、何とておびえ、顔を隠すぞ?」―――
「父上よ、かの魔王を見たまわずや?
かむりを頂き、すそながく引けるを。」―――
「わが子よ、そは霧のたなびきたる。」

「うまし児よ、来たれ、ともに行かん!
たのしき戯れ、共に遊ばん。
岸べには色とりどりの花咲き、
わが母は黄金の衣(きぬ)もてり」―――

「父上よ父上よ、聞きたまわずや?
魔王のささやき誘うを」―――
「心しずめよ、心しずかに、わが子よ、
枯葉に風のさわげるなり」―――

「美しきわらべよ、共に行かん!
わが娘ら楽しくそなたをもてなさん。
わが娘ら夜の踊りを舞いめぐりて、
そなたを揺すり歌い眠らせん」―――

「父上よ父上よ、かしこの気味悪きところに
魔王の娘らを見たまわずや?」―――
「わが子よわが子よ、さやかに見たり、
そは古き柳の灰色に見ゆるなり」―――

「愛らしくも心ひくそなたの美しき姿よ。
進みて来ずば、力もて引き抜かん。」
「父上よ父上よ、魔王はわれを捕らえたり!
魔王はわれをさいなめり!」―――

父はおぞけたち、馬をせかしぬ。
うめく子を腕にかかえ、
からくも屋敷に着きけるが、
腕の中のいとし子は死にてありき。

      和訳/「ゲーテ詩集」 高橋健二(新潮文庫)
            

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この記事へのコメント

icashiya
2007年06月21日 12:03
思い出しました。此れを聞いた時、深く深く慄いた私の心
全身さぶいぼが立ち、身震いしました。

もっと軽い話ですが、英語の教科書にインディアンの酋長父子の話に
断食の間に父に訴えるのだけれど父は聞き入れない、満願の日子は駒鳥になっていた。と言う話も思い出しました。
父と息子の関係は可哀想な位葛藤があるのですね。父は息子に耐えることを求めますね

頭の中で、魔王と息子の絵が浮かびます。
私は父の絵は浮かばないのです。
息子と魔王が強く浮かびます。


2007年06月21日 22:39
◇icashiyaさん、こんばんは。
  早々のコメント、ありがとうございました。

>>父と息子の関係は可哀想な位葛藤があるのですね。父は息子に耐えることを求めますね

この言葉には思わずはっといたしました。
父と息子の関係、おっしゃる通りですね。
icashiyaさんのコメントを拝見するまで、この葛藤には気がつきませんでした。
だとするとこの「魔王」という曲、詩にはそうした父と息子の葛藤という側面もあるのかもしれませんね。
インディアンのお話、悲しいです。
Stanesby
2007年06月21日 23:40
♪ Mein Fater, Mein Fater ♪
あ~、あの声を思い出してしまいました。
罪なブログです。
2007年06月22日 02:21
中学校の教師をしてたころ、文部省指定鑑賞用CDの「魔王」の音源はF・ディースカウ様でした。
指定ビデオは日本人でした。・・・これがダメダメで、
私は、自分で録画したジェシー・ノーマンのを観せていました。
あの小錦のような巨漢、ヘンなドレス、目をひんむいて歌う表情・・・・中学生にとってはツッコミどころ満載のビデオなのですが、皆、くいいるように観て聴いていました。
子ども達もホンモノは分かるのですね。
機会があれば、ジェシー・ノーマンのも聴いてみてください。鳥肌ものです。
まだCDがあるかどうかはわかんないけど。なければ、私のをコ◯ー・・・・。
2007年06月22日 08:36
◇Stanesbyさん
  おはようございます。

>>あ~、あの声を思い出してしまいました。

夜中、うなされませんでしたか?

2007年06月22日 11:02
◇ねこまっくさん、こんにちは。

ジェシー・ノーマンの「魔王」、考えてもみませんでした。
早速ネットで調べてみました。今でも入手可能のようです♪
それにしてもソプラノであの「魔王」という発想はまったくありませんでした。
しかしながら、

>あの小錦のような巨漢、ヘンなドレス、目をひんむいて歌う表情

う~ん。確かにすごい迫力!
子供だからこそ本物が分かる、ということもあります。
鳥肌が立った経験、子供たちは忘れないと思います。

確か同じシューベルトの「白鳥のうた」のセレナーデも教科書にありましたっけ。憂愁と憧れにみちた優美な旋律に陶然として聞き惚れました。
「たゆたう」・・・
日本語の中でも本当に美しい言葉だと思います。
私はこの言葉の意味をシューベルトのこのセレナーデで知りました。

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