”O magnum mysterium” / ボッティチェルリ「柘榴(ざくろ)の聖母 」

遥かな時間のかなた、西洋音楽の黎明から響いてきた、暖かな光りに満ちた音楽にすっかり心を奪われてしまいました。

アーリー・ミュージックに対する漠然とした興味と共感は、かなり以前から感じていたものでしたが、ブログでのやり取りを通じてNoraさんからいつも素晴らしい示唆を頂いているうちに、この時代の音楽をもっと聴きたいもっと知りたいという気持ちが強くなってきました。


今回、たまたまお気に入りのCDショップで破格の割引で購入したこの”O magnum mysterium”もまた、こうした私の内面の流れの小さな変化の結果だったのかもしれません。
ブリリアント4枚組みのこのCDには、以前Noraさんが熱く書いていらした、デュファイ、オケゲムの曲が収録されています。

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Noraさんのご紹介にあったこの3曲は、もともと名前だけは知られていてもCD化されたものが少ないマイナーな曲ばかり。
デュファイ の「エッチェ・アンチルラ・ドミニ」、オケゲム、ミサ「プロラツィオーヌム」「クユスヴィス・トニ」の3曲が全てこのアルバムに収録されているという不思議な偶然です。
それと知って買ったわけではありませんでした。
たまたま50%OFFというこれまた信じがたい値段に惹かれ、演奏者がスコラ・カントゥム・シュトゥットガルトということに信を置いての衝動買いだったのです。

最初に聴いたのはデュファイ。
以前、ブログにもアップした、オケゲムと同じ「エッチェ・アンチルラ・ドミニ」。
「主よ憐れみたまえ」と繰り返すこの曲のキリエからは、神への確かな信仰と希望が穏やかな雨のように降り注いできます。
金色に光る、霧のように細かい雨です。
両の手のひらでをそっと開いて、いつまでも受け止めていたくなるような・・・
気が付かないうちに、いつの間にかほのぼのと静かに明けてゆく東の空のような・・・

後世のホモフォニーのような主旋律を持たず、複数の声部がそれぞれ独立しながら、神秘的なまでのハーモニーを作り上げていくポリフォニー。
まだ明けきらずにいる東の中空へと立ち昇り、やがてあけぼの薔薇色の輝きと共にこのうえない美しさでたゆたっているかのようなこの曲は、ポリフォニーの極限の魅力に輝いているように思います。
そしてどこか懐かしさを覚えるような気がして仕方ないのは錯覚かしら。

キリスト教という共通の土台にヨーロッパの国々と社会がしっかりと根を張っていた15世紀という時代。
ルターによって改革が叫ばれ、内部において新旧の神学が対立を初める以前の音楽だからでしょうか、
穏やかな親和性と、おおらかな明るさに満ちた優美な音楽です。
けれども同時に、しなやかでありながら、強靭に張り詰めた一本の矢のようなベクトルを感じ取ります。
これは、この時代のものというより、デュファイという音楽家の個性なのでしょうか。




この曲を聴きながら思い描いていた絵があります。


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「柘榴(ざくろ)の聖母 」 1487年頃 サンドロ・ボッティチェルリ 



この作品の題名にもある柘榴は、キリストの受難の象徴です。
愛するわが子をかき抱きながらも、母マリアの表情は、静けさの中で深い憂いに沈んでいます。

”われ主のはしためなり Ecce anchilla Domini エッチェ・アンチルラ・ドミニ”

この言葉によって、キリストの母となる運命を受け入れたマリアは、このとき、子イエスの受難と同時に、自らの受難をも受け入れたのでした。
自らの胎を痛めた子でありながら、真実「我が子」とは言うべくもない息子。
この作品の放心したように見えるマリアの表情には、全てを神に委ねてなお深い悲しみのうちに在る母親としてのマリアそのものです。
委ねることによって与えられたものは、安寧というより諦念だったのかもしれません。
想いを手放すことが至高の愛の表現だった、などと言えばお叱りをうけるでしょうか?
いいえ、神への全的信頼があったればこそ、マリアは全てを一身に引き受け、
そして身もだえする悲しみのうちに手放した・・・

信頼とは、本来、覚悟です。
覚悟して相手に委ねる、という決意であり、時にその決意に殉じる苛烈なもの。
マリアは自分の信仰のうちに全身全霊を投じたのです。
このマリアの信仰を、全的信頼、覚悟と言わずしてなんでしょう。
ボッテチェルリのマリアの顔に浮かんでいるのは、、全てを投じる決心と、およそ人間の女が経験したことのない深い悲しみとの狭間にあるマリアの、「積極的自己放棄」とも言うべき表情のようにも見えてきます。

このマリアに私が感じるものは、その痛み、その悲しみさえも「捧げもの」とした、彼女の覚悟。


聖母子の頭上からは慈雨のような金色の光りが降り注いでいます。
それは祝福であり、慰めです。
すべてのものと「苦しみを共にする」存在に対し、「主よ我等を憐れみたまえ」と頭を垂れるとき
私はまた、一つの言葉を思い出しています。



「神の前に、神と共に、神なしに生きる」

第2次大戦中獄死した反ナチの活動家であり、
時代を代表する神学者でもあったボンヘッファーの言葉です。



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