偶然が行きつくところ (その1)



私が一回見ただけでそのマンションに決めたのは、第一に病院に歩いていかれる近さゆえだった。
そして、もうひとつ。
マンションのとなりに小さな教会があったこと。

2歳で小児がんを発病した長男が長期の入院生活を余儀なくされて3年が過ぎていた。
彼は5歳になっていた。
もう再発の可能性はないだろうと言われた矢先の再発。
再びの入院と付き添いの生活が始まった。
小児がんの子供ばかりの小児病棟の6人部屋。
付き添いの母親はみな、子供のベッドの隣で寝起きしていた。
一部屋に子供が6人、母親が6人。プライバシーなどあろうはずがない生活。
どの親も、子供を守ろうと必死だった。
再発後の長男の治療結果は思わしくなく、骨髄移植に最後の望みを託すこととなって、順番待ちの12月のさなかだった。
病棟でも、子供たちのためのささやかなクリスマス会が企画され、その準備の最中に倒れた。

はい。
倒れたのは私です。
くも膜下出血だった。
向かい合った脳外科からすぐにドクターが駆けつけて下さり、おそらく世界中の誰よりすばやい手当てを施された幸せな患者の一人だったのではないかと思う。
意識が戻ったのは何日かしてからの集中治療室の中だった。


画像

ジョルジュ・ド・ラ・トゥール(1593-1652)「新生児(キリストの降誕)」レンヌ美術館




クリスマスは知らぬうちに過ぎていた。
子供の移植は私が回復するまで延期になった。

「病院」という非日常の世界から離れる時間。
そして、まだ3歳になったばかりの下の娘と一緒にいる時間が必要だった。
付き添いに復帰できるまでの何ヶ月間か、突然の「休暇」が私に与えられた。

長男が発病したのは旭川だった。
1年の入院生活を経て実家のある長野に戻り、松本の大学病院に転院。
娘は松本から車で一時間ばかりの実家の母が面倒を見てくれていたが、実家と病院との往復は、私にとって心身ともに大きな負担であった。
何よりも家族が家族として一緒に暮らしたかった。
自分が入院中のベッドの上で、私は真剣に松本への引越しを考え始めた。
転居の決断は早かった。

不動産屋に出した条件はただひとつ。
病院に近いこと。
複数あった物件の中でさきのマンションは即決だった。
病院には十分に近い。
そしてお隣は教会だった。

隣が教会だからと言って何かを具体的に期待したわけではない。
見ず知らずのそれもプロテスタントの教会だった。





私が小さいころから親しんできたのはカトリック教会であり、プロテスタントの礼拝は大学に入ってからが初めての経験だった。
大学はプロテスタントのミッション・スクールだっだ。
キャンパス内にあったチャペルでは、毎日礼拝があった。
私が、「その人」の姿に気がついたのはいつ頃だったのだろう。
誰もいない静まり返ったチャペルの中、いつも決まった席で、静かに頭(こうべ)を垂れて祈る人がいた。
もう定年間近のS先生だった。
私は、チャペルの中で一度も先生と言葉を交わしたことはない。
ただ一般教養の授業でしかお目にかからない先生ではあったが、いつも静謐で穏やかな笑顔を絶やさない方であった。
背が透けるような古びたスーツは、しかしよくブラシが当てられ、手入れをされていていた。
風呂敷包みを手にしたその姿にはなんともいえない威厳と気品があった。
「S先生、すごくいいところのお坊ちゃんなんですって・・・」
学生の間でそんなうわさがまことしやかに流れるほど、先生は本当の意味で「紳士」でいらした。
私が心のそこから「祈る人」を間近に見たのは、このS先生が初めてだったような気がする。
カトリックでもプロテスタントでもない、真実の祈りの姿を私はこのS先生に教えていただいたのだと今でも思う。

病気療養のためという特別休暇の間も、「お隣の教会」の礼拝にはごくたまにしか出席出来なかったのだが、その時間は私が私として生きるための大切な時間となっていった。
そんなある日、ふと私が口にしたS先生の名前が、ひとつの扉を開くことになる。

「あら!S先生?
戦争中、松本に疎開してらしたのよ。
その間ずっとこの教会にお通いになってたの。」

寝耳に水!
さらに追い討ちをかけたもうひとつの驚き。
「先生の奥様はね、森さんの妹さんなの。
森さんもよく松本においでになって、何度もこの教会でオルガンを弾いてくださいました。」

「森さん」とは、作家であり哲学者の森有正氏であった。
「バビロンの流れのほとりにて」そして「遙かなノートル・ダム」を初めとする森有正の著書を、私は学生時代から何度となく繰り返して読んでいた。
深い思索と豊かな感性、美しい言葉で綴られたその本は、読み返すたびごと、尽きぬ泉のように私の心を潤してくれた。
そしてまた氏は、パイプ・オルガンの奏者としても名前を知られた方だった。
戦争末期、田舎の小さな教会で、古びたリード・オルガンを弾かれる森有正と、その音色に静かに耳を傾けていたであろうS先生ご夫妻、そして教会の信者たちの姿を、私は不思議な感動と共に思い描いていた。

S先生と森有正氏が森さんの妹さんを介して義理のご兄弟であり、ともに「お隣の教会」に足を運ばれていた・・・
こうしてこの事実は、何か喜ばしい知らせ、贈り物のように私に告げられたのだった。


お隣の小さな教会との、不思議なつながりはこれだけではなかったのだが、
このときはまだ知る由もない。

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