テーマ:絵画

「ヴィーナス」 縄文の造形 (Ⅱ)

尖石(とがりいし)縄文考古館の2000点を超える展示品の中でもひときわ目を引くのが、今から約5000年前の縄文中期の遺跡から出土した「縄文のヴィーナス」呼ばれる土偶である。 昭和61年、茅野市棚畑遺跡からほとんど完全な形で出土したこの土偶は、ほどなく国宝指定され、平成12年に同じく茅野市中原遺跡から出土…
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「蛇」  縄文の造形 (Ⅰ)

小学生のときだったか、もう中学校に入っていたか。 初めて見た縄文土器はおどろおどろしいまでの情念にあふれていた。 装飾過多としか思えない、さまざまな意匠によって埋め尽くされたそれは、どこか妖しいまでに生き物めいていた。 言いようのない不安、今思えば、一種の急迫観念に近い感じが確かにあった。 私は恐れにも似た拒否反応と…
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やっぱり キンダーブック !! そのほか・・・

近くの岡谷市のイルフ童画館で開催される「武井武雄の生涯 Ⅲ」 私が幼稚園のころ、買ってもらっていたのは「こどものせかい」だった。 毎月手元に届くのは、聖書の物語を子供向けにわかりやすく書き直したお話。 教会付属の幼稚園だったのだから不思議にも思わなかった。 もちろん、それはそれで毎回のお楽しみだっ…
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モリスの夢見た日々

軽井沢メルシャン美術館で開催中のウィリアム・モリス展に行ってきた。 ウィリアム・モリスという名前の記憶をたどっていくと、一枚の絵にたどり着く。 20代のころ大切に読んでいた若桑みどりの「薔薇のイコノロジー」の口絵にあった「フローラ」だ。 背景に、忘れな草、菫、アネモネ、ツリガネ草といったさまざまな花が丹…
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祈り / 「ポルト・リガトの聖母」 サルバトール・ダリ

しばらく前から気になっていた一枚の絵、「ポルト・リガトの聖母」。 ピカソと並んでスペインが生んだシュール・レアリスムの奇才、ダリの絵だ。 朝の光とも、黄昏に暮れ残った残照とも判別できない不思議な真珠色の明るさの中で、 膝に幼子を抱き、両の手を祈りの形に合わせている女性。 「ポルト・リガトの聖母」 全てが整然と空中に浮遊…
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ヤーコプ・ヨルダーンス 『聖家族』  

もう先月の話になってしまいましたが、松本市美術館で開催された国立西洋美術館所蔵作品巡回展に行ってきました。 サブタイトルには「神々と自然のかたち」。 ヨーロッパの美術をより深く理解する上で重要なのはギリシャ・ローマ神話とキリスト教であるとはよく言われることですが、今回の美術展のテーマも「神々と自然」という視点からの展開です。…
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フリードリヒ 「氷海」・希望号の遭難 

せめぎあう氷と空気がそのままひとつに結晶化していくような張り詰めた緊張感。 氷海の上には青紫色した空が一枚の布のように広がっている。 氷がせりあがる時の、きしむような金属音は実際の音なのか、それとも幻聴なのか。 音さえも凍りついたかのような極北の海。 眼を転じると、絵の右側には黒々と傾いた船のシルエット。 押し…
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棘(とげ)

心の中には いつも 小さな 哀しみの種がある 棘だらけで 固い 小さな種だ 両の手のひらで そっと包んでみても、 かたく握りしめても、 種は 鋭い棘で 私を刺す。 けれどわたしは 時々 その種を握り締める。 私を刺す棘は痛いけれど 痛みは 存在そのものだから。 …
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偶然が行きつくところ (その1)

私が一回見ただけでそのマンションに決めたのは、第一に病院に歩いていかれる近さゆえだった。 そして、もうひとつ。 マンションのとなりに小さな教会があったこと。 2歳で小児がんを発病した長男が長期の入院生活を余儀なくされて3年が過ぎていた。 彼は5歳になっていた。 もう再発の可能性はないだろうと言われた矢先の再発。 …
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雪の朝 / ピサロ 「エラニーの冬 ・朝」

昨夜半から降り始めた雪が、今朝まで舞っていました。 カーテンを明けると、眩しいばかりに雪の輝く朝でした。 まだ淡い朝の光を浴びながら、真っ白に雪を被った樹々たちが、 すべての葉を落とした枝先を、しんと音もなく張り詰めた、 透き通るような冷気の中に差し伸べています。 はかない雪の結晶は、まだ昇りきらない太陽の光の…
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「忘れえぬ女(ひと)」 若しくは 「見知らぬ女」

ロシア・リアリズムの画家クラムスコイ(1837-1887)の作品の中でも有名な「忘れえぬ女(ひと)」。 この作品の印象は確かに強烈です。 今まで彼女は高慢な貴族の女性と言われてきました。 「忘れえぬ女」 クラムスコイ(1883) トレチャコフ美術館 つんとあごを持ち上げ、馬車の上から見おろす着飾った女…
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雨の日のサン=サーンス /  「雨の日」 カイユボット

「○○さん、ちょっと。」 日曜日、教会の受付で呼び止められました。 私がお手伝いに行っているペンションのオーナーMさんでした。 「これ、Aさんから、あなたにって・・・」 渡された紙袋の中には、なにやらお菓子らしき包みと封筒が入っていました。 Aさんは去年の夏、ペンションで初めてお目にかかったお客様です。 ご両親と3人、大…
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『リーメンシュナイダーの世界』 植田重雄 ③ / ユダの変貌

「イスカリオテがイエスに似ているのがお分かりでしょう。」 早春のローテンブルクを訪れたこの本の筆者・植田氏は、リーメンシュナイダーの最大規模の彫刻と言われる晩餐祭壇の彫刻を見ていた際、一人の若い司祭に、こう、声をかけられた。 晩餐とは、言わずもがな、キリストの「最後の晩餐」である。 すでに自らの死を知っているキリストは…
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『リーメンシュナイダーの世界』 植田重雄 ② / 笛吹きハンス

リーメンシュナイダーとヴュルツブルク。 両者は一対どんな関係にあったのだろうか。 そしてなぜ、ヴュルツブルクは、恩人とも言うべきリーメンシュナイダーを、葬り去ろうとしたのか。 以下は本書の要約と、ごく若干の私感である。 16世紀中葉のヨーロッパにあってドイツは、イギリス、フランスのように中央集権の国家を持ち得なかった…
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『リーメンシュナイダーの世界』 植田重雄 ① / 発見

昨日今日と二日をかけて一冊の本を読んだ。 正確に言えば、もう随分前から部分的にではあるが繰り返し読み返してきた本でもある。 植田重雄著『リーメンシュナイダーの世界』。 昭和51年に上梓されたこの本は、その後まもなく絶版となり、20有余年を経て再版された。 この本を読み終えた時、私は果てしない旅から帰ってきたような疲労感ととも…
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「出産の聖母」 / ピエロ・デッラ・フランチェスカ

先日、ペンションのお客様としていらしたNさんが、イタリア旅行の丸一日をかけて見に行かれたという、ピエロ・デッラ・フランチェスカの「出産の聖母」。 プラハに行く予定を急遽変更されて、 以前美術雑誌で見て以来、いつかきっと、と心に決めていらした一枚の絵を見るためにアルプスの南に足を伸ばされたのです。 カトリックの国々で教会や修…
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シュッツ / 「クライネ・ガイストリッヒェ・コンツェルト」

シュッツの音楽は深刻で、何処か悲劇的というイメージを一掃してくれたのがこのCD。 「クライネ・ガイストリッヒェ・コンツェルト」 とにかく美しい! 冒頭の一曲、「主によって汝の喜びをなせ SWV.311」 以前ドレスデン聖十字架合唱団によるこの曲を聴いたことがありました。 この合唱団特有の透明感あふれる端正なボーイ・…
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D・スカルラッティのチェンバロ・ソナタ

端正にして明晰なアレッサンドロ・スカルラッティのチェンバロと比べて、アレッサンドロの息子ドミニコのそれは、どこか暗く翳った憂鬱。 秘められているのは暗く鬱屈した情念のほむら。 著名なオペラ作家の息子としてナポリに生まれたドミニコ・スカルラッティ(1685年 - 1757年) 彼が父親から、また音楽家を輩出してきた家系の呪縛から…
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 「エデンの林檎」あるいは「パンドラの箱」

民族には、それぞれ固有の神話があり、多くの場合その神話は「世界の始まりのものがたり」から始まります。 ヒトという生き物は共通して、世界の起源を知りたいと願い、人間の始まりを知りたいと願う者なのでしょうか。 それは自分たちが何者であるか、ということを知るための長い旅路のはじまりでもありました。 「知る」という欲求が、私たち人類の…
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星月夜 / ヴィンセント・ファン・ゴッホ

じっと見ていると眩暈がしてくるような、激しくうねり爆発する宇宙そのもののエネルギーを感じさせる作品です。 こんなに心を騒がせる絵がほかにあるでしょうか。 ここには静謐に澄み渡った夜空の平安はありません。 うねりながら咆哮するような、恐ろしいばかりのエネルギーに圧倒されるばかりです。 遥か天空に満ち満ちたそのエネルギー…
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海月時間

光りとて届かぬ 漆黒の水底(みなぞこ)から 淡く 仄かな  燐のような 輝きをまとい ひとつひとつの 原初の記憶のように  浮かび上がってくるもの 海の月 または 水の母たち するすると  しなやかな 触手を 伸ばす 時は いま 海月時間 …
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リルケの言葉

ライナー・マリア・りルケ(1875~1927)、カフカと同じく、ハンガリーのプラハ生まれの詩人です。 そして私にとっては、大好きなと言うより、特別な詩人。 でも20代の頃は、若い時期にありがちな一種のポーズでリルケを呼んでいたような気がします。 10年、20年とそれ以上の年月を経て、リルケは静かな輝きと新しい気づきを再び私にも…
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”O magnum mysterium” / ボッティチェルリ「柘榴(ざくろ)の聖母 」

遥かな時間のかなた、西洋音楽の黎明から響いてきた、暖かな光りに満ちた音楽にすっかり心を奪われてしまいました。 アーリー・ミュージックに対する漠然とした興味と共感は、かなり以前から感じていたものでしたが、ブログでのやり取りを通じてNoraさんからいつも素晴らしい示唆を頂いているうちに、この時代の音楽をもっと聴きたいもっと知りたいとい…
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サヴィーナ・ポッペアの肖像 / フォンテンブロー派

モンティヴェルディのオペラ「ポッペアの戴冠」のCDを買いました。 モンティヴェルディといえば、私の場合「マドリガーレ集」。 そして「聖母マリアの夕べの祈り」。 「オルフェオ」にせよ、この「ポッペアの戴冠」にせよ、今まで聴く機会がありませんでした。 しかし、私の悪い癖で、ときにジャケットのデザインが気に入ったという理由で買って…
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『月の光』 さまざま・・・

ウィンスロー・ホーマー(1836-1910)「夏の夜」(1890年)オルセー美術館 波間に月あかりが銀色に輝いています。 月そのものは描かれていませんが、月の光はこの夏の夜の海辺にあふれています。 無心に踊る一組の男女。 背景にシルエットとして浮かぶのはともに海辺で憩う男女でしょうか。 波打ち際でざわめいている波も、沖…
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風が運ぶもの

目を閉じて 風を探す 両手を広げて 風をつかまえる 風は笑う 風は歌う 「海からの風」Wind from the Sea(1948) アンドリュー・ワイエス あのときの 私の心から 何かの挨拶のように 風が吹いてくる。 何かをことづけたくて  遠いあの日か…
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父のスケッチブック (私の宝物 その2)

父が亡くなったのは5年前の夏。 照りつける真夏の庭で、ノウゼンカズラが燃えるようなオレンジ色の花をつけていた。 遺品の中にあった3冊のスケッチブック。 召集されて赴いた戦地でも、片時も手放さず、引き上げの際には油紙で何重にも包み、しらみだらけの外套に大事にくるんで持ち帰ったというそのスケッチブックは、文机の引き出しの奥でひっそ…
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ドヴォルザーク 交響詩 『真昼の魔女』

シューベルトの「魔王」について書きながら気になっていたもうひとつの曲がある。 ドヴォルザークの交響詩『真昼の魔女』 残念なことにこのCDは私の手元にない。 というより、何処かにうずもれてしまって、見当たらない! 自分の整理整頓能力の欠如をのろいながら、記憶を頼りに書いてみた。 まず目を閉じて思い浮かべてほしい。 のど…
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針仕事の時間 / フェルメール『レースを編む女』

その昔、家にあったのはシンガーの足踏み式ミシン。 カタカタと軽やかな音とともにリズミカルに上下するペダルの動きを、飽かず眺めていたのは何歳くらいのときだったのでしょう。 中学生になって、家庭科の授業で初めて電動式ミシンなるものに出会ったときは少なからずショックでした。 それは私の慣れ親しんだミシンではありませんでした。 モー…
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『グランド・ジャット島の日曜の午後』 / スーラ

永遠と言う時間の中で凍結したかのような人物の群れ。 絵の中の時間は平穏と静謐のうちに止まっています。 この絵が好きかと聞かれても即答できませんが、一度見たら忘れられない絵です。 実物は縦×横で2m3mの大作。 作品を書いているうちにも、伸びてしまう芝生を友人に刈ってもらいながら、何年もの歳月をかけて完成されたというこの絵には…
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