「樅の木」って・・・

クリスマスの色は赤と緑。
赤はキリストの受難の血の色、冬の間もその色を変えることのないの樅の木や柊の緑色とで、終わりのない循環である円をかたどったクリスマス・リースは「永遠の命」を表すものといわれているようです。

キリストが生まれた中東地方では樅の木も柊も、あまり一般的なものではありません。
常緑の木と言えばレバノン杉か棕櫚といったところでしょうか。
つまり、クリスマス・ツリーもリースも元々はこの地方のものではなかったということです。

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キリスト教はローマ帝国の拡大とともにヨーロッパの北へと広まっていく過程で、もともとそこにあった宗教を取り込み、すこしづづ姿かたちを変えていきました。
そもそもキリストが生まれたのが12月の25日であるということが何らかの歴史的事実に基づいたものではありません。
当時北ヨーロッパで信じられていたルチア(光り)信仰が元になっているというはなしもあります。
長く辛い冬を耐えてしのばなければならなかった北ヨーパの人々にとって、一年で一番夜の長い12月は本当に過酷なものであったのでしょう。
「光り」が、そうした暗くて酷寒の冬を耐える唯一の希望であったことは想像に難くありません。
 またお膝元ローマにおいても、キリスト教が国教と定められるまで、長い間信仰されていた太陽神の祭りのときでもあり、収穫を感謝する祭りの時でもあったのです。

「世を照らす光り」であるキリストの誕生が冬至と時を同じくして祝われるようになった背景にはそうした人々の想いや願いもあったのですね。

今ではどこの国のキリスト教会でもクリスマスには美しいクリスマス・ツリーが飾られ、家々の玄関にはクリスマスのリースが飾られます。
 それぞれの家庭で楽しい夢が語られ、またある家庭では感謝の祈りが喜びとともに捧げられる・・・
宗教を越えたところで共有される祈りがあってもいい、クリスマスが、クリスチャンのみならず全ての人々の喜びのお祭りであって欲しいと願います。信じるもの、大切にしているものが違っても、お互い違うことを認めあい尊重する、互いへの敬意を忘れないようにしたいと思います。

この記事へのコメント

2006年12月12日 08:30
ヤドリギ。
門松。

依代のかたちとして、樅の木は、
あったか~い気持ちにさせてくれます。

ひとは、たぶんわかりあえるのではないかという
記憶の中のシンボルを
想起させてくれるような気がして。
Stanesby
2006年12月13日 02:08
博愛に満ちた最後の三行がとっても素晴らしいですね。
世界の平和を願うのは、みな同じはずなのにね・・・。
2006年12月13日 10:12
>ひとは、たぶんわかりあえるのではないかという
記憶の中のシンボル・・・

ヤドリギも門松も、そしてこの樅の木も、何故かみな、常緑の木。
変わらぬ緑に託す想いはひとつなのですね。
2006年12月13日 10:26
◇Stanesbyさま

願いや想いは一つなのに、実際に起きていることは哀しいことばかり。
せめてこのクリスマスのとき、世界の安らかなる事を心から願います。
ちょびママ
2006年12月13日 12:32
Papalinさんとこでaostaさんデビューにキャー♪っと雄叫びを上げてきました。
お休みしてた間にこんな素敵な展開に!
一足はやいけど、クリスマスプレゼントを頂いたような気分ですよ。
祈る事はいつでもどこでも誰でも体ひとつで心さえ有れば出来る事ですよね。
祈る事から満ちてくる気持ちってものもありますね。
その先に心の平穏、世界の平和が見えてくれば。。。と思います。
2006年12月13日 14:38
◇ちょびママさま

私も初めて見たときには、思わずキャ~っと叫んでしまいました(笑)!!
トホホの展開です。
なんと申し上げてよろしいやら・・・お恥ずかしい限りです。

もうお加減はよろしいのでしょうか?年末ともなれば、忙しい毎日、無理をなさいませんようにね。
2007年11月29日 11:15
北欧のキャロルのCDを聴いていると”サンタ・ルチア”の曲が入っているのですよね!
”サンタ・ルチア”にはナポリのイメージがあったのですが。
キリスト教がその土地の宗教を取り込んで発展してきた歴史を思うと、日本的なものと必ずしも対決する必要はないかな・・・という気がします。
なかなか難しいことなのでしょうけれど・・・。
私は門松とかしめ縄をどう考えるかよく悩みます。
(実家でも門松は出しませんが・・・。)
だって色から言ったら松の緑・南天の赤は充分クリスマスカラー。
金銀の水引だって色彩から言ったらクリスマスですよね!
25日になったらクリスマスの飾りを片付けて・・・ではなく、お正月が終わるまで同じ飾りでいきたいなあ・・・と私はそうしているのですが、よそから見たらだらしなく見えるでしょうね。
2007年11月30日 10:11
◇Ceciliaさん

コメントありがとうございます。
一年前の記事、自分でも懐かしくて読み返しました(笑)。

>キリスト教がその土地の宗教を取り込んで発展してきた歴史・・・

キリスト教がローマ帝国の国教となり急速にアルプス以北にまで拡大していった背景には、土着の宗教と上手に融合していった背景もあるのですね。
北欧はそのほとんどがプロテスタントですが、やはり古来からの風習や文化は失われたものもあるとはいえ、ある意味ではキリスト教と同調し、「見た目」キリスト教的な装いを持って連綿と継承されてきた事実は否めません。

話は全く違うのですが、先日私の通う教会の牧師夫人のお父様が亡くなられました。クリスチャンではなかったので、仏式のお葬式が執り行われたのですが、あいにく娘さんである牧師夫人は外国に旅行中、さぞご心痛のことと、牧師へかけたお悔やみの言葉に帰ってきた反応は意外なものでした。
「丁度よかったですよ。仏式の葬儀に出席しないで済んだのですから・・・」


2007年11月30日 10:12
Ceciliaさん、続きです。

「丁度よかった」、これはちょっと違うと思いました。
亡くなった方を悼む気持ちは二の次、キリスト教こそが正しく死者を弔うという、驕りのような意識が感じられて絶句いたしました。
亡くなられた方への敬意はどこにあるのでしょう。
ましてや、実の父であり義父であるひとです。
こうした「キリスト教の驕り」こそが、キリスト教に対する理解を妨げる原因のひとつではなかろうかと思います。

話がそれてすみませんでした。
2007年11月30日 12:33
「丁度よかった。」・・・びっくりです。
深い関係でない人の葬儀ならそう思うのもわからないではありませんが、義理のお父様ですものね!
私が今まで所属してきた教会はどこも仏教の葬儀などとも適当に折り合いをつけている人が多かったので、自分なりにいろいろ考えながらも、他宗教の葬儀では秩序を乱さないように”普通に”振舞ってきました。
母教会がその点では一番きちんとしたところだったかもしれませんが、それでも他宗教の葬儀での振舞い方について「こうしろ」と言われたことはありません。
非常に保守的な教会では葬儀には出なくて済むように、とか焼香をせずに祈りましょう・・・とか言いますが、その場ではなかなか難しいことです。
葬儀には参加せず、裏方を買って出る・・・とかいう話を聞いたこともあります。
逆に考えると私達キリスト教の葬儀に他宗教の方々がたくさん出席されますが、皆様キリスト教式のやりかたに合わせて讃美歌を歌ったりしてくださいます。



Cecilia
2007年11月30日 12:52
続きです。
牧師さんのお気持ちはわからないでもないですが、自分の心の中に留めるだけでなくそれをaostaさんにまで言ってしまう・・・というのが気になります。
本音はそうでも、一信徒に言うでしょうか?
こういう本音・・・信徒が聞いたら驚くような本音を牧師仲間で語り合う・・・というのはよくあることなのだと思いますが、どういうお気持ちでaostaさんにおっしゃったのでしょうね。

牧師という立場であれば他宗教の葬儀でも我流を通しやすいはずですよね。
牧師でも難しいことなのに、ましてや一般の信徒が他宗教の葬儀で”クリスチャンらしく振舞う”なんて難しいことだ・・・と思います。
2007年12月01日 10:12
◇Ceciliaさん
 おはようございます。

>他宗教の葬儀では秩序を乱さないように”普通に”振舞ってきました。
>皆様キリスト教式のやりかたに合わせて讃美歌を歌ったりしてくださいま す

そうですよね。
他宗教の方のお葬式に参列しても、心から弔意を表し、悼むのであればむしろクリスチャンに対するより良い理解や共感をえられることもきっとあるように思います。少なくとも、教会での葬儀に出席なさる他の宗教の方たちは、戸惑いながらもキリスト教の司式にあわせて下さっています。
牧師という立場で、他宗教の葬儀を軽んじると言うのはいかにも大人気ないというか、狭量な考えなのではないかと思ってしまいました。
2007年12月01日 10:21
◇Ceciliaさん

>どういうお気持ちでaostaさんにおっしゃったのでしょうね。

実を言えば、これは直接私にかけられた言葉ではなく、他の信者さんに仰られたことなんです。その方も、この牧師の言葉には驚いて、「こんな風に言われたんだけど・・・」と心外な面持ちで私に仰られました。
時としてびっくりするような言葉が出てくることは今までもありました。
牧師の感覚としては、教会員は「うちうち」の人間で、みんな同じ判断基準を持っているはずだという、安易な思い込みがあるように感じます。
同じ信仰を持つ教会員のうちにも、異なる価値観や、背景があることをもう少し真剣に配慮していただけたら、と願わずにはいられません。

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  • クリスマスだから、今年も。

    Excerpt: 玄関ドアにはクリスマス・リース。 キウイ棚から、元気よく伸びているツルを見てたら リースにぴったり!ってひらめいた。 Weblog: 消えがてのうた part 2 racked: 2009-12-19 05:35