『薔薇の中の薔薇』 / 聖母マリアのカンティガス

「このCD素晴らしいですよ」と遠来の友人に渡されたアイポッドから流れてきた音楽。
アントネッロの「薔薇の中の薔薇」。

呪縛されるようなメロディーとリズムでした。
およそヨーロッパの教会音楽では聞いたことがない、波のような地声の歌。
もう一度聞きたいと思いながら何ヶ月かが過ぎて、ネットで注文したのはつい最近のこと。
そして先日、手元に届きました。


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演奏は濱田芳通率いる古楽アンサンブル「アントネッロ」。

スペインのパティオに流れる泉水の涼しげな音にも似た、優雅なハープの響きとともに語られる"詩を作り歌うとは"と名づけられた「序」。
まるで大切な秘密を打ち明けるかのようにひっそりと語られるスペイン語の美しいこと。

カンティガとは、もともとはポルトガル語の「歌」の意味。
中世にイベリア半島で人々の間で歌われていた叙情的な歌曲を言います。
この『薔薇の中の薔薇』は、の文化、芸術を手厚く庇護して、賢王と呼ばれたアルフォンソ10世(1221~1284)が編集した膨大な曲集の中の聖母マリアへの賛歌です。


この曲集が編纂された13世紀のスペインはキリスト教国とはいえ、長きに渡るイスラム勢力との拮抗の歴史によってイスラム的文化、芸術との深い相関関係にありました。
私たちが聴くこのカンティガ集の、異国的、非ヨーロッパ的情緒はここに由来する物なのでしょう。
同じ中世、同じ単旋律の世俗歌曲であっても、複数の民族、宗教、文化が混沌として生活の中に混在していたこの地で花咲いたカンティガは、イスラムのコーランの詠唱にも似て、呪術的酩酊を誘うかのように響いてきます。
そして歌われているのは人々の敬慕の対象である聖母マリア。
このアンビバレントな融合がアントネッロの魅惑的な演奏によって今に生きる音楽となるとき、
700年と言う時の流れを超えて私の心を騒がせます。

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こCDののタイトルにもなっている「薔薇の中の薔薇」は、いにしえの音楽というよりむしろ、アジア的悠久を感じさせる音楽です。
アラヴ的な地声とこぶしが印象的なこの歌は、北アフリカからジブラルタル海峡を越えて吹き付けてくる暑く乾いた風に似ています。
同時にその風は中央アジアの広大な砂漠を吹き渡る風であるやも知れません。
伝統的な教会音楽とは違う次元で生まれてきた、民族の血が通う音楽。
続く「すべての聖人たち」の手拍子、もしかしたら足拍子さえ誘うような軽快でめまぐるしいリズムは現代的、未来的でさえあります。
めくるめく陶酔とアラブ的熱狂。
身体が、全身の細胞が感じて反応する驚くべき演奏です。
超絶技巧と言うと、テクニックにのみ走った無機的な音楽を連想しがちですが、このアントネッロの演奏は、神がかりとさえ思うようなテクニックを演奏者が楽しんで演奏しています。
もしかしたら踊りながら、跳ね回りながら演奏しているのではないかと思うほど躍動感に満ちた音楽です。
もちろん、こうした演奏がアントネッロという稀有なアンサンブル、濱田芳通という才能によって解釈された物であることは否定できません。
しかし本来民衆の音楽であったカンティガの持つ即興的な性格を考えると、むしろこうした演奏こそが本来の姿であったのではないかとも思うのです。

聖母マリアを象徴する花、薔薇と百合。
ともに聖母の純潔を象徴する花とされていますが、赤い薔薇はキリストの流した血を意味する花でもあります。
そして薔薇はと言えば、もともイスラム世界で愛され、十字軍によってヨーロッパにもたらされた花でした。
しかしイスラム文化の色濃かったスペインでは十字軍を待つまでもなく、薔薇は日常の生活、日々の喜びとともに中にあったのではないでしょうか。
その花に託された聖母マリアへの思い。
生き生きと息づいていたであろう生活の中の信仰と音楽がこのアントネッロの演奏によって蘇ったかのようです。。

「ピレネーを越えればヨーロッパではない。」
とは、後年のナポレオンの言葉ですが、この豊かな文化の混在は、その後キリスト教国として統一され、イスラム勢力が一掃された後もなお、イベリア半島の文化のひとつの核として存在し続け、後のスペイン、ポルトガルを形作っていったのだと思います。

この記事へのコメント

Stanesby
2007年06月23日 12:20
こんにちは。
僕もこのCD、ちょっとだけ試聴したのですが、お買い求めになられたとは嬉しいですね。近々こちらに回ってくるものと思われ、これ幸いにとウキウキしております。

アントネッロの古楽が素晴しいものであることは言うまでもありませんが、このCDで取り上げられている音楽には驚きました。いわゆる西洋音楽の古楽ではなかったからです。ナポレオンの言う通りですね。

中でも、女性が歌っておられる歌。まるでブルガリアン・ボイスです。まrで日本の追分にも通じる地声の歌、こぶしがコロコロと回る歌い方・・・。ラテンの国々を挟んで、ヨーロッパの東西に位置するブルガリアとイベリア半島と国が、同じような歌い方をする、なんとも不可思議。でも、aostaさんの記事で、そのなぞは簡単に解けました。

僕はいわゆる西洋かぶれで、日本人の音楽家の歌や演奏は殆ど耳にしたことがないのですが、この女性(名前は存じません)の歌は、日本人が歌っているとは思えません。背中ぞくぞく、鳥肌ものですね。是非聴いて頂きたいCDです。

おっと、私もちゃんと聴きたいです。

山 し^-^J 祈りなさい
 
2007年06月23日 19:30
 aostaさん。こんばんは。
 よいCDをご紹介してくださって、ありがとうございます。
 そうです!この頃のヨーロッパ各地の音楽は、まだ、個性豊かな民族音楽なのです!
2007年06月23日 19:31
> この女性(名前は存じません)の歌は、日本人が歌っているとは思えません。

 Stanesbyさん、
 このCDで歌っている一人、花井尚美さんは、実は、「西洋音楽」ど真ん中の、正統的ルネッサンス・アンサンブル・グループ、ヴォーカル・アンサンブル・カペラ(花井哲朗さん主催)でも、美しい歌声を、聴かせてくださっている方です。
 あまり関係ないですが、この花井哲朗さんは、バッハ・カンタータ・アンサンブルというのも主催されていて、全曲演奏を目指し、地道ながら着々と演奏会を続けてらっしゃいます。
 ハープ他を担当されている西山まりえさんは、いまやなくてはならない濱田さんの片腕ですが、ソロで、バッハのゴールドベルクやフランス組曲のすばらしいCDをリリースされています。
 みなさん、ほんとうに多彩で、驚いてしまいますが、
 このような方々が身近なところにいて、遠い国の遠い時代のさまざまな音楽を聴かせてくださるというのは、ほんとに幸せなことですね!
2007年06月25日 22:35
◇Stanesbyさん、こんばんは。
   コメントありがとうございました。

ブルガリアン・ヴォイス。
そうでした。あのグループも圧倒的な地声のコーラスでしたね。
空気の振動をそのまま感じるような圧倒的な迫力でした。

西洋的な発声が正しいということは決してないのに、どうしても私たちは西洋の発声、音楽を基準にして聴いています。
一番耳慣れた音楽、といえばそれまでですが、ヨーロッパにおいても時代や国によってこんなにも固有の音楽があるという事実にいまさらながら気がつきました。

アントネッロの音楽を聴いたのは、実はこれが初めてではありません。
「わが愛しの女(ひと)よ」という14世紀の作曲家ランディーニのバッラータ集のCDをもっています。
こちらで歌っているのは鈴木美登里さんというソプラノですが、この方の歌も何とも言えず美しい!
「薔薇の中の薔薇」とはまったく印象の違う、しっとりとしたルネッサンス音楽です。
よろしければこちらもあわせてお聞きくださいな。

2007年06月25日 22:38
◇Noraさん、こんばんは♪

>この頃のヨーロッパ各地の音楽は、まだ、個性豊かな民族音楽なのです!

本当にそうなんですね。
このアントネッロのCDは「目からうろこ」の一枚でした。
とにかく聴いていて体が勝手に動いてしまうんです!!
2007年06月25日 22:49
◇Noraさん

アントネッロと言うグループのすごいところはメンバーが多彩ということですよね。
ひとり二役、どころか三役もこなして、しかもそのどれもが素晴らしく魅力的。演奏曲目によって流動的な編成ですが、そのつど参加するメンバーの顔ぶれがすご過ぎます。

こんなところで失礼ですが、先日Noraさんのブログで武久さんが「セクエンツィア」のライナー・ノーツにムジカ・フマーナその他について書いていらっしゃる、とコメントしてしまいましたが、今見たらこのランディーニのCDのラーナー・ノーツの間違いでした。申し訳ございません。

西山まりえさんのバッハ、聞いてみたいです!!
2007年09月27日 09:58
 おはようございます。
 ちょっと前に、わたしもカンティガの記事(モンセラートの朱い本)を書いたので、トラックバックしたかったのですが、このページはなぜかトラックバック欄が無くて、できませんでした。????
 わたしの記事でも、最後にこのCDに一言だけふれているので、aostaさんもトラックバックしてくださると、とってもうれしいのですが・・・・。(勝手なお願いで、ごめんなさい)
2007年09月27日 15:31
◇Noraさん

こんにちは。
TB欄、多分受けつけない設定になっていました。
(一時怪しげなTBが多かったので)
先ほど解除しましたのでいつでもOKです。
楽しみに待っております!
そしてこちらからもTB送りました。こうした記事でTBのやり取りができるなんて、とっても嬉しいです。
2008年05月27日 22:50
こんばんは。緑蔭の庵のH2といいます。先日はご訪問ありがとうございました。
「薔薇の中の薔薇」が気になり、このページに辿りつきました。何分音楽には疎いもので、アンサンブル「アントネッロ」という名を初めてきいた次第です。「カンティガ」という言葉も。
自分が知らずにいたことを教えてもらえるのは、ネットならではの良さですね!私の身辺にはこうした音楽を聴く人はいないので、まったく情報が入らないんです。
さっそくCDを探してみます。でも、ネット注文したほうが早いのかな。ともあれ、すごく聴いてみたいです。
2008年05月28日 08:28
◇H2さん♪

こんなところまでおいでくださいましてありがとうございます。
この「薔薇の中の薔薇」は、ちょっと興奮気味で書いた文章で、筆が走りすぎ、お恥ずかしいのですが、すばらしいCDでした。
私にとっても、このジャンルの音楽を聴くことはあまりないのですが、数少ない記憶をたどれば、それまで聴いていたカンティガは洗練されすぎていたように思います。このアントネッロによる演奏はもっと土臭いうか、当時を彷彿とさせるエネルギッシな音楽です。
私もネット注文で入手したものですが、お聴きいただければとても嬉しいです。

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